岩波文庫「魯迅評論集」などにもこの言葉は出てくる

林語堂の
>「“フェアプレイ(費厄溌頼)精神は中国では最も得にくいものであり、我々も努力発憤しなければならない。
>中国の“プレイ”精神は非常に少なく、ましてや“フェア”は言うまでもない。
>これはいわゆる“井戸に落ちた者に石を投げる(下井投石)”のを肯定しないという意味である。
>人を罵る人にはこの条件が避けられない。それは、人を罵るならば、罵られるということである。
>また、失敗者にあえて攻撃を加えるべきではないというのは、わたしたちが攻撃するのは思想であって人に対してではないからである。
>今日の段祺瑞、章士訴を令として、我々はこれらの人々をこれ以上攻撃すべきではない。

という提言に答えて曰く
>語堂先生は「フェアプレイ」について提言した。このような精神は中国では最も得にくく、我々は努力すべきだという。
>また、「水に落ちた犬を打」たないことを「フェアプレイ」の意義として補足している。
>私は英文がわからないので、この言葉の意味がどのようなものだかまるで不明なのだが、
>もし「水に落ちた犬を打」たないことがこのような精神と一致するのであれば、すこし議論したいと思う。



こう使ったのが初出。
この場合、守旧派を「犬」にたとえて、「我々の敵は人ではなく思想なんだ、フェアプレーで行こうぜ」と言った林語堂に
「水に落ちた犬を救ったばかりに殺された人がいる。中国にフェアプレーはまだ早い。『水に落ちた犬』はぶっ殺さなきゃダメだ」と返したわけ