>>121
>陸自北部方面隊 孤立しながら全滅するまで戦う
>陸自増援部隊 ひたすら蹂躙される

――たしかに、ブランデンブルク門に似ている。上には、勝利の女神、ヴィクトリアの銅像がある。
「ソ連兵は、西ベルリンに毎日、自由にやってくる。それに、1961年にベルリンの壁をつくってからも、
記念日には、ソ連軍はベルリンの壁を越えてきて、パレードするから、西ベルリン市民の怒りをかっている」
と、ガイドも怒っている。
ベルリンの壁をつくって、東西ベルリンの行き帰を遮断しておいて、ソ連は西ベルリンへ、フリーパスというから、
――西ベルリン市民が、パレードに石を投げる気もち、離散家族のやりきれない気もち、怒る気もちはわかる。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a26d5bfa4c84a7c567da9567e8decb72

境界線の現状固定と、東西ベルリンの分離は確定的となり、西側がイメージする「ドイツ再統一」
は空文化したのである。フルシチョフは「平和条約なしに、ドイツ民主共和国の境界線支配の目的を達成し、
その主権を確保した。」と自賛したのである。事実、壁の構築でベルリンは西側のショーウインドウとして
の価値は失い、亡命路としても役立たなくなった。このことは、米ソにとってベルリンはホットな問題と
しての優先権をうしなったのである。そしてベルリンが再び世界の注目をあびるには、28年の歳月を必要としたのである。
http://www.maedafamily.com/kanren/berrin.htm

  同 盟 国 に 梯 子 外 さ れ る っ て 惨 め だ ね 〜