1989年のバブル期の勢いで、しかもXF3-IHI-400でタービン直前温度1400℃、AB付きに成功し
RJ500でコア部流量50kg/sをとりあえず観察、評価した経験はあると

1995年からXF5の開発が始まるが、開発陣は「もっと大きなエンジンを作る事は可能だったが、あえてこのサイズで作れと言われた」
って言っている
むしろ高温なのに小さくて、熱伝導が速くて強度を落とさないように苦労したと
そしてコア部の流量が25kg/s程度の小さなものが出来るのだが、それを「うまく流用して」F7エンジンが出来た、って事になるんだよな

お陰で、PX-Lを断念してから40年ほど後に、やっとP-1を飛ばせたって事になる
これ、物凄い執念だよ

で、FS-Xを国産で作るのを断念してから40年だと2025年か