松浦晋也 @ShinyaMatsuura 3 時間前

「この世界の片隅に」で8月15日に太極旗が掲げられ、すずさんが
「海の向こうから来たお米、大豆、そんなもんでできとるんじゃなあ、うちは」と独言するシーンがある。
朝鮮半島から大量に米を輸入していたからなのだが、片山杜秀「国家の死に方」(新潮新書)に
そのへんの歴史的経緯の概説があった。
明治維新後の人口増加で大正に入ると、日本は食糧が不足するようになり、朝鮮・台湾から
大量の米を輸入するようになる。植民地から無理に徴発するもので、朝鮮半島では独立運動が活発化、
三・一独立運動の原因ともなる。しかし日本列島はかなり開墾され尽くしており、短期間での食糧増産は無理だった。

そこで、開墾の余地がある朝鮮半島での一気の食糧増産という案が出てくる。
その状況下で日本は第一次世界大戦に参戦。戦争に伴う米買い占めで、食糧不足が表面化し、米騒動が起きた。
朝鮮半島での増産が具体化するが、これには「東北における米作が圧迫される」という懸念があった。
これに農村基盤の政友会と、都市基盤の憲政会の政争が重なる。1924年に憲政会の加藤高明内閣が成立し、
朝鮮半島の米増産作が始まる。これが成功し過ぎるほど成功する。秋田から持ち込んだ「亀の尾」という品種が
北朝鮮の風土に合って食味良く生育し、「美味い米」として市場を席巻したのだ。
食味に劣る東北の米は売れなくなる。1929年には世界大恐慌、1930年は大豊作で米価は底抜けの価格崩壊に。
そして1934年の大凶作。翻弄された農村は疲弊し、農民は都市に被熟練労働者として流出する。
東北の窮状が朝鮮半島での米増産を押し進めた政党政治への反発と重なる。
東北の窮状と政党政治への反発が、農本主義的傾向を持っていた軍部の皇道派の暴発を引き起こす。
血盟団事件、五・一五、二・二六……
 こういう戦前の米作政策が、すずさんの嘆きへとつながっていく。
 しかし、「朝鮮の米はうまい」で、みんな喜んで食べたというのは知らなかった。
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「外米」はまた別のものなのか?おしんってこの時期?