>>443
トラック掃討戦の時、スプルーアンスはアイオワ、ニュージャージーに、距離2万9千〜3万2千m
での射撃開始を命じてる。

>>413
海軍砲術史によれば、昭和11年、海軍はそういう理由でノクトビジョン(暗視装置)開発を重視。
一方で同年、陸軍主導で住友電機、阪大、学術会議らが参加し、後の電探の研究開発が開始され、
3年後には100km先の航空機映像受信に成功、とある。

海軍でも昭和14年以降になるとドイツやイギリスの情報が入ってきて、軍令部第三課の柳本柳作
大佐は、これなくして戦争できるかという認識で持って電探開発を加速させ、開戦の2ヶ月前には
初期型の量産に入ったそうな。


海軍砲術史は電探開発と技術の遅れについて率直に反省、分析をしていて、読み返すと面白い。