>>404
貴族会館(旧鹿鳴館)と東京倶楽部の敷地に霞が関ビルは建てられた
そして貴族会館はそのまま霞倶楽部と名前を変えて34階し、東京倶楽部は5-6階に入居した
その後東京倶楽部は所有フロアを企業に貸してだして六本木にビルを建てて移転した。
ちなみに霞倶楽部は大名や公家、政商の子孫である旧華族の当主が会員であるが、
東京倶楽部は古い血筋ではないものの名士や政治家、文化人が会員となっている。
どちらかの倶楽部の会員であれば欧州の社交界でも認められるため、
前者がノーブル、後者がジェントルの倶楽部と考えられている。