陸軍士官学校のミン・ビョンドン元校長が、6・25戦争(朝鮮戦争)に学徒兵として出征し、中国軍に押されて退却したときのことだ。
布団や釜などを背負った避難民たちが、ソウルの永登浦から京畿道水原市へ向かい、アリの群れのように歩いていた。
ところが、よく見ると、避難民たちは全員が民間人というわけではなかった。
中国軍や北朝鮮軍が、民間人の服を奪って着用したり、布団や木綿の防寒着をかぶったりして、民間人に成り済まし、避難民を追っていたのだ。
中国軍や北朝鮮軍は、国連軍の戦闘機による機銃掃射を避けるため、避難民の行列を盾代わりにしたというわけだ

(「月刊朝鮮」別冊、『60年前、6・25はこうだった』より)。