帝国陸軍の連隊は出身地ごとに編成される事が多かった。
で、北海道・東北出身者を集めた連隊は強く、関西のそれは弱かったと言われているが、京都や東京の部隊は、レイテ島で米軍が賞賛するほどの
勇戦の末、文字通り全滅している。
(圧倒的な兵力、物量の差がありながら遅滞に成功し、壊走することも無く 最後まで戦った、という賞賛日本軍としては装備も良くて強かったけ ど、俺たちには勝てなかったという自慢でもあるけど。)

…数万人が出征して、生きて帰ってきたのは多くても一割には遠く及ばない