【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3

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2017/12/14(木) 23:39:33.57ID:tIgbRp67
旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。

■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/
2017/12/20(水) 13:54:40.53ID:lxJ6Uttd
>>41
というかケニの狭すぎる円錐形砲塔を改めたのがケトって説明されるけど、
写真を見る感じでもケニで既に円柱砲塔だし、そもそも幅の狭い円錐型砲塔に幅を取る主砲連装機銃は付けられない。

それどころか円錐砲塔でないのはケニの時点で二人砲塔+一人車体が確立している時点でおかしいから、砲塔もそんなに変わって筈だよ

主砲の威力が増大した以外はほぼ同型と見ていいんじゃないか?
現に円錐砲塔を搭載したケニの写真は俺は見た事がないんだよね
2017/12/20(水) 14:05:35.66ID:lxJ6Uttd
ていうか仮にケニが円錐砲塔のままだったら二人に増えた砲塔要員と主砲とかんざし式より場所を取る連装機銃を押し込む事になるから、収まる筈がないんだよね。というわけで車体どころか砲塔もケトと変わる筈がない
ならなぜ秘匿名称を分けたかというと、その時期に空挺部隊用への配備案がより真剣に検討されて、それに伴う小さな変更もあったから、用途からして単なる武装強化型に留めなかった可能性がある
2017/12/20(水) 16:50:01.70ID:kNNLsFcu
ケニに対してケトの生産量がいやに少ないのも気になるといえば気になる
確かに空挺用としての少数発注ならわかる気はする

個人的には空挺用なら寸法・重量から砲装テケ(中古になってしまうが…)が向いていそうに思うのだが
ハ号や前期車体チハが一応積極的に還納更新されているのに軽装甲車は進んでなかったのかねえ
それともあくまで3人乗りでないとまずかったのか
2017/12/20(水) 19:06:02.70ID:o4GSUjaX
海外だとハ号にケニケト砲塔をのっけた強化バリエーションがある事になってるけどそんなのあったっけ?
プラモまで作ってたけど聞いたことないわ
2017/12/20(水) 19:20:48.03ID:HknXKUAl
ケニ・ケト車の件に関しては
昭和18年1月以降の造兵彙報の「陸軍基本規格・陸軍造兵規格及陸軍計測器規格に関する件」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1512114?tocOpened=1 の75コマ目あたり本館か協力図書館から見てね)に
昭和18年1月11日付 兵政技第43号による
「試製二式軽戦車砲塔砲架三十七粍砲取付部検査用具」
「試製二式軽戦車履板検査具」
の規格制定に関する記述が延々と載っている(どちらも長らく「意見照会中」とされてたが、後者は昭和18年8月4日の兵政技第3413号にて制定)事や、
同年8月の日野重工の状況報告に「最近半装軌式装甲兵車、軽戦車外二種並びに伐掃機改造型の試作を命ぜられあり」(C14011059700 23P)と書かれている事が何か関係していそうな気がする

ケニの次にケホを作ってたはずがそれを飛ばしてケトが出てきたってのが解せない(秘匿名称の順にこだわってもしょうがない気もするが)が、>>43みたいな理由であれば理解できなくもない
2017/12/20(水) 19:22:50.44ID:HknXKUAl
>>45
「日本の戦車」にそういう側面図が載ってるんよ
2017/12/21(木) 09:00:31.57ID:J5/V82XJ
ク7の発注が17年2月、強度試験機完成が18年1月、試作機初飛行19年8月
同じ頃曳航機の少なさから研究中止、双発輸送機型(キ105)に変更
ク7はケニ車搭載前提で計画されていたがキ105は4.5tしか積めず軽戦車の輸送は不可能

ケト車が空挺用として作られたのなら
本来の発注量はもっと多く、19年度前半期に29両作った時点で中止された…という推測もできそうな気が
2017/12/21(木) 14:14:27.65ID:nY0AjSFM
しかし空挺用としてはクロ車というのも存在してたしなあ。
てか二式軽戦車って○カの整備基準だと250両(C12121786600 11P,33P)とあったりもしたが
昭和19年度の計画だと90両分が予定されてた(C12121799600 14P)のが50両に減り、最終的に30両となっている(C14010913200 12P)んだよね
2017/12/22(金) 08:52:17.52ID:ByvKLiuZ
>>49
特三号はク7+ケニ(ケト)が曳航機を選ぶから、いっそのこと戦車自体曳航してしまえってことで始められたと思ってたんだけど違うの?
これならク8用と同じ曳航機で曳けるから、という
2017/12/22(金) 20:41:45.39ID:oFBgvrWC
 陸軍落下傘部隊の創設が命じられたのが恐らく昭和15年10月末。命じられた者にとっても青天の霹靂だったようです。
 それ以前には飛行機による別動隊(落下傘など)を使用することがあると言葉だけで、臨時の部隊という扱いでしかも実態がありませんでした。

 一方ケトについては各種書籍で昭和16年の試作(開始という意味でしょう)とされていますが、
これが正しいとしたら最初からドイツでも前例のない空挺戦車を意図したとしたら落下傘部隊の創設が命じられてから手回しが良すぎるように感じられます。

 また、挺進戦車隊の創設は昭和18年(8/10)ですが、空挺部隊の増強が一番考えられていたこの時期でも想定された規模は挺進師団2個で、
戦車隊は師団に1個。挺進戦車隊の戦車は14輌が定数でしたから>>49氏のご紹介数字250輌という当初の計画は空挺戦車としては多すぎることになります。
これはハ号の後継軽戦車として普通に計画されたケニやケトが、空挺戦車にも使用可能と後から構想に入ったのではないかと。
2017/12/22(金) 20:45:39.03ID:oFBgvrWC
 尚、「日本の戦車」によれば挺進戦車隊が実際に装備した戦車は当初九五式軽戦車、
次いで九八式軽戦車、後に二式軽戦車に換装されたとし、
昭和20年6月時点で九五式軽戦車5、九八式軽戦車19(内可動18)、37mm砲装備装甲車(九七式?)12(内可動8)とあります。

 これを信じればこの時点ではケトは未だなかったことになりますね。
 九五式は訓練用機材として最初にあてがわれただけかも知れませんが、
ケニやケト以前に>>44氏の言われるように装甲車を空挺戦車として使用することを考慮又は研究していた可能性を示唆しているとか。
53名無し三等兵
垢版 |
2017/12/22(金) 22:19:20.10ID:7oeUayOF
あのケト車をどうやって空挺戦車として使うのだ?
2017/12/22(金) 23:30:12.31ID:Kuc8SbkR
空挺戦車のアイデア自体は1932年頃にクリスティー技師がこうして世に出していたと言いますが、クロ車とどれだけ関連しているのやら。(そういえば三菱の試製ケニ車はクリスティー式懸架装置を備えてましたっけ…)
https://books.google.co.jp/books?id=a-IDAAAAMBAJ&;pg=PA37&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
http://blog.modernmechanix.com/flying-tanks-that-shed-their-wings/
2017/12/22(金) 23:30:56.10ID:oFBgvrWC
>>53
 空挺は空中挺進の略語ですから降下しなくても輸送機やグライダーで降着させれば空挺なんですね。
2017/12/23(土) 07:05:42.25ID:epNnXktq
>>53
パレットに載せてパラシュート降下させるのだけが空挺じゃないからね
大型グライダー、ク7は九八式軽戦車搭載が前提でペイロードと貨物室寸法が決められた
少なくともその程度には本気だったわけだ

ところが肝心の曳航用機体が九七式重爆やら九六式陸攻の中古ではエンジン出力が足りず
最低でも一〇〇式重爆や四式重爆が必要とされた
爆撃機として使用中の機体を曳航機に回すような余裕があるはずもなく
ク7は試作終了時点で動力化することに決定

一方中型グライダーのク8は量産されたが、こちらは兵員やら小型火砲の輸送が限界で車両搭載は無理
2017/12/23(土) 14:40:29.88ID:8f6FDwCS
九七式軽装甲車に九八式20ミリ機銃積んだら現代でも通用しそう
2017/12/23(土) 17:04:37.32ID:4Y/4Dz8i
和製ヴィーゼルですね。
それにしても今の自衛隊には豆タンク成分が足りない!(>_<)
2017/12/23(土) 19:19:16.05ID:DKum8nIN
現代だとその区分で装甲程度も一緒でというと
それはもう警察車両か小型重機の調達で十分でないか
2017/12/24(日) 01:09:41.70ID:xqceNJEk
誘導輪を接地させて短い車体でも接地長を稼ぐのも一緒だな
テケは非力な装甲車ではあるが軽戦車であるハ号より新しい設計のため、完成度で言えばはるかに洗練されている
2017/12/24(日) 12:03:45.15ID:yDjeXDIs
>>52
20年6月時点では収容する側のグライダーが開発中止済みなわけで
挺進戦車隊は名目上挺進集団隷下ですが
既に独立軽戦車隊みたいな扱いだったのではないかと…
高速軽戦車(テケも含むけど)で編成する小部隊は
本土決戦時の予備としてそれなりに重宝しそうな気はします
2017/12/24(日) 12:34:49.55ID:KBJBvlk4
>>61
 本土決戦では普通に対空挺戦闘の任務を割り振られていますからね。6月以降に本当にケトが配備されたとしても用法はそのままでしょう。
 もう空挺部隊としての運用は考えられていない。
2017/12/24(日) 18:23:53.57ID:EOXOJ8md
結局二式と九八式はどれだけ違ったんだろう 戦車砲が一〇〇式三七粍から一式三七粍となった他に何がどうなったのやら

そういえば前に拾ったネタなんだが、九八式軽戦車って相造と小造の製造分それぞれに兵器固有番号が割り当てられてたらしいね(
C14010986300 42P)
https://i.imgur.com/N89Z34v.png
相模造兵廠の設立後も小倉造兵廠は戦車の生産や試作に関わってたというが、その辺の事を詳しく書いてる物ってあるのかな
2017/12/25(月) 13:38:43.98ID:5RQ7cV2L
主砲換装しただけで制式名を別に付けるのかなーという疑問はある

ただ、イロハ番号で行くとケニ・ケホはそれぞれ別個の存在で
ケト以降は全部既存車輌の改造なので、自走砲に符号振ったのと同じ時期に
ある程度形にするところまで進んだ開発中車両には個別符号を振るような形に方針が変わったのかもしれない
ケリ車もまさにハ号の主砲すげ替えただけ…
2017/12/25(月) 16:00:55.29ID:/+E33x/H
まー転輪ボギーが変わったり
2017/12/25(月) 16:14:12.41ID:/+E33x/H
あ転輪あたりの形が違うのは試作だけか
2017/12/25(月) 16:26:08.06ID:bI7sj33l
ケニBに見られる大型転輪って、日本戦車にこそ持って来い(というか必要性大)だったんじゃないかと最近思うのよね

日本戦車だけに言えた話じゃないけど、ゴム転輪にピアノ線で補強だと連続・高速走行では熱が篭って溶け出し、最終的には取れちゃうってのは、大型転輪で回転速度を落とし、軸の周速度を落とす事である程度は「緩和」するんじゃ?
2017/12/25(月) 19:52:55.23ID:V3ByfMRz
クリスティー式だと上側も擦るからどっこいじゃね
むしろ上側逆行だし
2017/12/25(月) 23:12:39.91ID:5RQ7cV2L
シーソー型を含めたシザース式サスと大型転輪は相性悪いと思うのだ
バネの様式が違うだけで根本はボギー式、別の見方をするとボギー式だからシーソー式ご自慢の地形追従性が高くなるわけで
仮にボギー1つの代わりに大転輪という形にしたら、転輪がやばい動きするのに目を瞑ったとしても可動域はあまり大きくできないはず
ソ連戦車みたいな転輪間の狭い大転輪にするならクリスティ式かトーションバーになるんじゃないかな
2017/12/26(火) 20:17:31.32ID:Ld2fy/EZ
てか>>46の内容からして昭和18年初頭の時点で「二式軽戦車」の名称は存在してたみたいだが、その頃計画されてた(水陸や空挺でない)軽戦車ってケホ車以外存在してない筈だよね

つまりこの頃の「試製二式軽戦車」というのはケホ車の事を指していたのが、昭和18年6月の兵器研究方針改訂に伴う計画変更によってケト車が生まれる事となり、最終的にそれが二式軽戦車とされた とは考えられないだろうか
2017/12/26(火) 21:34:19.77ID:bqRzO410
その頃は試作車両を必ず符号で呼ぶという形になってなかっただけに思えるけど
2017/12/28(木) 18:05:57.58ID:k0n3nJYI
>>71
自分が言いたいのは>>46の造兵彙報が出た頃(資料的には昭和17年度の兵器研究方針から昭和18年6月の兵器研究計画までの間の時期)だとケホ車以外の試製軽戦車の計画は存在していなかった訳だから、
この時点での「試製二式軽戦車」をケト車(というかケホ車以外の車両)であると考えるのは難しいのではないか?という話で

そういえばまた一つ思い出したが、ケホ車って昭和18年3月時点の研究計画だと装甲最大厚が約20mm、完成予定年月は20年3月(C14011078700 2P)とあるのが
計画改訂後の8月10日付の資料だと最大装甲厚は約25mm、完成予定年月は19年3月に変わってる(C14011080100 2P)んだよね 何か仕様の変更でもあったんだろうか
2017/12/28(木) 19:32:16.83ID:za1JqA6Z
備砲も47粍砲短に一本化してるので、計画具体化の段階で装甲厚変更の要求があったのでは、としか
しかしケホ車ってなんというかチホ車の蒸し直しっすな
備砲弱くして今度こそ10tに収めたいみたいな…斜めに見過ぎかな
2017/12/28(木) 19:39:41.40ID:za1JqA6Z
ところで同じ計画書の中で「新軽戦車」として項目立てされているものを別項目で「二式軽戦車」と書くことはあるんですかね
この時点で既に九八式軽戦車の空輸用小改造型が二式軽戦車と呼称されていたという見方はありえないですか
2017/12/28(木) 19:53:22.53ID:za1JqA6Z
なぜそう思うかというと、単純に二式軽戦車(ケト車)が翌年度生産されているからです
十八年度中に仮制式まで行っているなら、十八年六月時点で内部では二式軽戦車と呼称されていても特におかしなことはないのでは

更にまだ計画段階、しかも約10tもの車両をいきなり空輸可能か研究せよというのは
現実に研究されたグライダーの方の仕様が7.4tということを見ても無茶苦茶な気がしますな
2017/12/29(金) 00:28:31.29ID:iWLKSMxr
>>74
そういや昭和18年3月の資料に空輸用戦車の項目もあったな、と思って読み直してみたが
これだと「試製二式軽戦車ヲ空輸機ニ搭載スルコトニ就キテ研究ス」(C14011078700 5P)とあるんで二式軽戦車=空輸用とするのもまた難しいのでは
あと名称に関しては計画の開始時期によってそういう事もあるんでないかなー、と思ったり


しかしケホ車の要件から三七粍双連が消滅しているって点も何か気になるな…
2017/12/29(金) 00:35:34.61ID:CTUF4b6k
ケニ改の方が気になる
チハ改の砲塔乗っけたヤツ
T-26の完全上位互換になるな
2017/12/29(金) 09:26:02.82ID:g3IyJXdZ
ケニ改が研究で終わる種類のものでなくある程度本気で検討されていたものなら
四十七粍砲短の生産が諦められて四十七粍(I型あるいはII型)に代えられた後の折衷案なのではないかと

四十七粍短も初速740m/sという計画値で、実は性能面では結構有力というか半端な火砲ですよな
この程度の初速がないと一式三十七粍との差別化が図れないというのはわかりますが
砲架もそこそこ重く大きくなるだろうし、あの時期にいまさら一人砲塔用でもないだろうしで存在価値が薄い気はします

とはいえ、たとえば30口径長程度で一式四十七粍と弾頭共用の47mm短加農なんて品物はどう考えても意味がないし
75mm前後の火砲に比べてこの程度の小口径火砲は落とし所が難しいですねえ
2017/12/29(金) 19:21:21.03ID:iWLKSMxr
>>78
昭和19年に自走砲化とセットで製造予定のあった二式軽戦車の砲塔改修型だと思うんですよね、アレ
2017/12/30(土) 13:58:29.17ID:CbvcWhWq
https://i.imgur.com/souExYy.png
昭和18年度の試製秘密兵器一覧表(C14011049000 14P)より
「機甲入門」に載ってる昭和19年度の奴だとケトと書かれてるらしいが、単なる誤記なのかそれとも。
2017/12/30(土) 14:33:11.14ID:tVta99UJ
ケホの要件から37mmが消えた18年6月の資料って
例のチト・チリの仕様が57mm長と75mm長・回転砲塔に固まったやつだよね
装甲含め、中・近距離でM3軽戦車にぎりぎり対抗できるラインが要求されてるように見える

不完全な図面からの類推だが「第一回陸軍技術研究会・兵器分科講演記録」32pグラフを参考にすると
初速800m/sの47mm蛋形弾はだいたい250mくらいで存速740m/sになりそうだ
ということは、雑に言って47mm戦車砲が1000mで撃破できる目標を47mm短は700m以内で撃破できる
中距離から近距離に持ち込めばM3を正面撃破できる性能ということになる

37mmは更に一段威力が劣り、200m前後まで近接しないと無理
一方、装甲をチハ同等まで増厚しても300m以下では37mm砲に対して貫通を許すのは試験済

という感じで、この時点でケホはM3とギリ撃ち合える(と見込める)性能に嵩上げされたと見る
しかしほんとに10tで収まるんかなこれ
2017/12/31(日) 16:01:58.19ID:frr3kIGJ
>>81
個人的にはその辺でケト車が出てきたんじゃないかなあ、と 方針が色々と変わったもののケホ車の完成はまだ先の事なのでとりあえず現時点で準備できるものを、とやった結果
ケニ車に毛の生えた程度の物になってしまったとかそういう
2017/12/31(日) 18:36:20.97ID:VCqZow8K
あくまで47mm級軽戦車が本命なら、宙に浮いた37mm双連を積んだケニの主砲換装版がケトってのはわかる
ケニはこの時点で製造中、ハ号は生産終了予定だからベースがケニなのは当然

しかし1式37mmってそこまで期待するような代物なのかね
当面の敵M3軽戦車には基本的に刃が立たんし
この時期未だにBT7やらT26を想定的にしてたって訳でもなかろうに
2017/12/31(日) 19:46:13.62ID:zXciRfUl
スペックは200mで55mm(第一種防弾鋼板)/32mm(第二種防弾鋼板)
500mで46mm(第一種防弾鋼板)/27mm(第二種防弾鋼板)を貫通
第一種と二種の違いって何だ?M3及びM3A1軽戦車の車体前面は厚さ38mm、しかも操縦士用の開閉できるバイザーがあるので強度が劣る
2017/12/31(日) 20:49:11.54ID:VCqZow8K
一種=圧延鋼、二種=表面硬化鋼と言われてる
んで高さ的に当てやすい砲塔前面は2インチある、圧延鋼だとしても200m正撃でぎりぎりいけるかだあね
つーか弱点射撃で行けるかどうかで判断するんならケホ車の主砲候補から降ろさなかったかもしれんよ

あれかなー
1式37mmは既存の37mmと弾薬筒が共用できないんで
この時期に1式をケニの改良型と試製新中戦車乙に載せてみたってことは、まだ牽引型の1式37mmを94式後継の輓馬速射砲として整備するつもりがあったとか
2017/12/31(日) 21:36:01.32ID:Cr92BZnN
>>83
末期ドイツで、8.8〜12.8cmクラスの対戦車砲は確かに強いけど移動できないから一回の戦闘ごとに撃破されて使い捨てになる
5cm対戦車砲なら何回も陣地転換出来るから長く戦える!なければ3.7cmでも可。威力は近づけばどうとでもなる!
とか言ってる軍曹がいたそうだ
この理論で考えると、機動性を重視したのでは?
2017/12/31(日) 22:25:16.93ID:VCqZow8K
みんながそういう気合入った人ばかりだったら、兵器なんてカスみたいなもんでも良さそうだね
残念だけどそうじゃないからどこの国もどんな時代でも四苦八苦しながら兵器開発配備してるんだと思うよ
2017/12/31(日) 23:06:45.91ID:Nm42b0N5
ドアノッカーでも良いって砲口装着型成形炸薬弾で戦えるような化け物だろ
T-34/85は側面でも5cmpakのAPCRじゃないと厳しい厚さしてるんだからな
2017/12/31(日) 23:59:43.96ID:frr3kIGJ
>>85
一応アレが旧軍が量産化出来た最後かつ最良の双連式戦車砲だった訳だし、対戦車に限らなければまだ有用だと考えられてたのかもねえ。カミ車の主砲にもなってるし

チリ車にまで積んだのは新様式車載機関銃の計画がポシャった事も関係してそう
2018/01/01(月) 06:15:35.03ID:Mjx5FCqI
結局47短は研究未了か量産されず、1式37もろくに作らずというのは頭の痛い話
2018/01/01(月) 23:57:53.81ID:90X++NTK
大陸でソ連戦車相手にするなら37でも47でも大して変わらん
太平洋にはM4が出てこなくて
M3軽しか投入してこないだろうという想定だったんじゃろ
2018/01/02(火) 01:32:07.99ID:0h8rwM7a
オーストラリア軍が太平洋戦争初期に、マチルダやM3中戦車を部隊配備してるんで、それは無いだろう
2018/01/02(火) 09:48:41.73ID:BYWtaaW9
>>91
島嶼では数十トンクラスの戦車運用は困難だろうという想定だったし大規模な戦車戦も起こることはないという予想だった

マチルダやM3中戦車、t-34の情報は開戦直前直後にやっとつかめたぐらいだからどちらにせよ対処のしようが無い
2018/01/02(火) 10:21:24.11ID:MXAyW3Ta
>>86
ドイツは軽量安価な砲架+HEATによる対戦車大威力という夢を追ってたからな
陣地変換が容易な対戦車砲への色気は相当あったんだろう
8cm低反動砲とかいう開発コストの割に合わなそうな兵器まで作ってる
なお日本は75mm山砲+HEATで間に合わせた模様
2018/01/02(火) 12:57:36.14ID:N2531+Bk
8cm PAW600は、砲自体のコストは3.7cmPakの半額以下とバカ安
2018/01/02(火) 13:10:09.90ID:xbkZaqep
今思えば島嶼で2、30トンクラスの戦車運用困難って相当な確信の割にあっさりとシャーマンやマチルダを運用されちゃってるよな
日本軍のあの自信はどこから来たんだか
2018/01/02(火) 13:57:00.98ID:+2V/vUMW
加えてチハとあまり重量差が無いのに、倍以上の装甲厚なバレンタインがある
2018/01/02(火) 15:54:03.15ID:EnqTMSTr
>>93
起こることはない、というか起こる前に南方戦線自体を終わらせる算段だったんじゃないかね?
2018/01/02(火) 18:09:32.86ID:XrbwdoFx
>>96 港湾設備の関係で、18t超えるとフネに積むのが困難だからな@日本陸軍視点

…勿論、んな訳ゃあるかー!!
2018/01/02(火) 19:27:44.79ID:FSIW+Uj4
>>99
それ気になってたんだけど
出典元が気になる
2018/01/02(火) 19:28:12.41ID:EnqTMSTr
>>99
旧軍の場合、戦車の重量が嵩むと船舶輸送のみならず兵器としての運用そのものが極めて困難になる(戦車回収車や架橋設備等の装備を殆ど揃えられてなかったし)ってのが大きそうだが
その辺も突き詰めて調べてみたい気もする>中国や南方の港湾での戦車揚陸事情。
確かハ号は積み下ろし出来たけどチハ車はダメだった、って例もあった筈だし
2018/01/02(火) 19:54:46.14ID:FSIW+Uj4
>>101
チハの揚陸が駄目だった例は第九連隊の逸話かららしいが

この辺の話題って「機甲入門」や「戦車と砲戦車」とかもそうだけどあまり深く触れてないよね
2018/01/02(火) 22:46:59.35ID:MXAyW3Ta
軽装甲車やらハ号は大分辺鄙なところまで持ってってるから
そういうのと比べるとチハは配備箇所限られるのかなって思わんでもない
南方といえば戦車第四連隊だけど、ジャワ攻略後はどんな装備してたんだろう
ノモンハンの時点ではほぼハ号だったけど
2018/01/03(水) 02:54:00.52ID:jRp47DNj
クッソ重たい試製四十一センチ榴弾砲を内地から満州まで運んでるくらいなんだから、
港湾施設が整った所で揚陸、あとは鉄道と自走で大陸どこでも行ける予定だったんじゃないのかね?

チハ車が積める特大発を昭和13年に、20トン積める超大発を16年に作ってるくらいだし、
自走上陸で20トンクラスの島嶼上陸は想定してたんじゃないのかね? と言うかむしろ自分でやろうとしている。
戦車の方が間に合わなかったけどな! 20トンクラス戦車であるチヌの生産は19年末からだから……。
2018/01/03(水) 02:56:42.52ID:QsnYU1CS
1943年後半には米豪軍はLCMやLSTで戦車を揚陸しているからな
http://www.tanks-encyclopedia.com/wp-content/uploads/2017/05/016101.jpg
https://49fe30bb3aa7406c16dc-5c968119d095dc32d807923c59347cc2.ssl.cf1.rackcdn.com/2010.177.002_1.jpg

そもそも戦車用の揚陸船舶が無くても大量生産されたリバティ船のクレーンは30トン以上対応だしな

現実にソロモンではニューブリテン島を除いてチハ車を中隊規模ですら揚陸できなかった
ガダルカナルは軽戦車との混成部隊だし
2018/01/03(水) 03:15:58.82ID:BdTHdqqg
占守のチハって40両近くいるけど、あれ特大発で揚げたのかね?
だとしたらどこで積んだんだろう?
連隊自体は満州から19年2月に北海道へ、そこから占守や幌延に進出してるみたいだけど、
まさか北海道から千島列島沿いにアリ輸送か?
2018/01/03(水) 06:07:49.55ID:9uo7K3lU
戦時標準船D型(第二次計画)は戦車やその他重量物の積み卸しを担当し、30tヘビーデリックを登載していたそうだが
第一次計画のD型も登載してたのかわからなかった
ただ、第二次計画時の戦時標準船は粗製乱造で粗悪品が多かったとされるので、デリックも額縁程の能力を発揮できなかった可能性が高い

戦車第九連隊のチハは揚陸時にデリックブームが曲がったらしいがそれより重いホロやホニi/iiはどうだったかはわからん
2018/01/03(水) 08:43:40.97ID:LtyCixDM
戦争末期はトクトクの背中に積んだ特大発、あるいはSB艇の直輸送等で強引に運んだ可能性はないかなあ
2018/01/03(水) 12:35:59.60ID:TBewqZJY
>>107
 1D型は5t×6、30t×1ですね。
 「戦時造船史」から標準船のデリック装備を書きだすと

(平時)標準船※S14年9月以降
AT、AD 5t×12、25t×1
B 5t×10、20t×1
C、D 5t×8、20t×1
E 5t×6
F 5t×4

第一次戦時標準船
1A 5t×12、30t×1
1B 5t×10、30t×1
1C 5t×8、20t×1
1D 5t×6、30t×1
1E 3t×5
1F 3t×4
1K 5t×8
1TL 3t×2
1TM 2t×2
1TS 1t×1
2018/01/03(水) 12:36:31.46ID:TBewqZJY
第二次戦時標準戦
2A 5t×12、30t×1
2D 5t×6、30t×1
2ERS 5t×4
2ED 3t×4
2TL 3t×1
2TM 2t×1
2TE 無し

第三次戦時標準戦船
3A 5t×14、30t×1
3B、3D 5t×10、30t×1
3ES 5t×4
3ED 3t×4
3TL 記載無し
3TL貨 3t×10、5t×14

第四次戦時標準船
全て記載無し
2018/01/03(水) 12:43:10.46ID:TBewqZJY
 「昭和造船史」では、以下要約。
 揚貨用一般デリック設備は3t〜5tのものが普通で後に20T位のものまで装備された。
 ヘビーデリックは定期船では航路により40t程度のものが装備されていたが、崎戸丸型(S13年完成)には50tのものが装備され、多賀丸型には70tのものも設けられた。

としています。標準船以前の話でしょう。
2018/01/03(水) 16:43:35.29ID:oEotjuY6
当時の日本の商船は錨やデリックは大抵蒸気式か電気式なんだが
Dつまりディーゼルや焼き玉だと、補助缶を別途積まないと蒸気式が動かせない
(もちろん本体缶ほどのパワーも出せない)
そして電気式は発電やモーターの為の銅線が足りないので商船に回せない

デリックあるんだけど動かない、仕様上のパワーが出ない
そもそもデリック積んでない、なんか仕様外の怪しいのが乗ってる(焼きたま式とか)
コレに加えて、粗製で怪しいものが加わるので
二次船のデリックの仕様なんぞ当てにならんのが多い

2Dや2Aはまだしも、粗製乱造の典型みたいな2E系なんぞどうなってるか・・・
2018/01/03(水) 18:50:26.69ID:MHBjcEoY
2Aも2Dもレシプロだからセーフじゃね?1000トン以下でしかディーゼル使ってないような

2Eはぶっちぎりでやばいのに、GHQに技術的には大和より見るところがあるとか言われててなんか悲しい
2018/01/03(水) 19:10:19.35ID:frFB4sjv
>>113 1950年代の巨大タンカーの礎になったのは戦時標準船の設計概念と量産経験だぜ。
戦争中に出来上がった代物を擁護する気は全くないが、既存船形を簡略化しただけなアメリカのリバティ船あたり比べて、
戦時標準船同士で比較した場合、将来へ伸びる技術としての見どころが日本側にあるのは間違いないだろう…勝者の側だから言える台詞ではあるけどな!
2018/01/03(水) 22:20:32.19ID:TBewqZJY
 戦車とクレーンについては八九式戦車の方で言及がありますね。
 「第2次大戦の日本の戦車」に、
予想される戦場の地形と運送船の補助クレーンによる揚陸を考慮して約10tに制限した、
と原乙未生技術中将の記事があります。
 この本、写真のキャプションで私にもわかるような間違いが散見されますが、
原氏の筆による部分は一応参考になるかなと。
2018/01/03(水) 23:06:58.08ID:PhWsvP+n
昔火砲スレに書いた記憶

764 :名無し三等兵:2015/12/03(木) 21:23:06.41 ID:NSNADdPS.net
>>734
運用能力の貧弱さは事実だろうが、デリック(起重機)の能力も重大な問題の一つであったと思う。
特に敵に近い場所で揚陸する場合、再組み立てなどの手間は可能な限り取りたくない(そのために大発や特大発があるわけだし)。

第1 開戦前に於ける船舶輸送司令部の状況
C14020185700
これは戦後になって大本営船舶参謀が当時の情勢を回顧した資料だが、
大戦前には特大発(自重17トン)を搭載可能な輸送船は20隻程度しか用意できず、
さらにフィリピン攻略戦に従事した輸送船の大半は起重機の能力5トン以下。
これでは特大発や中戦車はおろか大発すら動かせないので、宇品の起重機を追加搭載するとともに、
鉄材運搬船を特種船として急きょ徴用し必要な能力をまかなっている。

更に戦車を揚搭できたとしても、能力がギリギリだと他の作業に支障をきたす。
別冊第2 将来参考となるべき事項
C14110746300
ジャワに上陸した歩兵第四連隊の史料だが、
動力を共用しているためか、戦車を揚陸する間、当該輸送船の他の起重機は使用不能だったとある。

外洋航行可能な輸送船の戦車揚陸能力の不足という問題を根本的に解決するには、1942年に竣工する機動艇を待たなければならない。
2018/01/04(木) 00:21:22.07ID:rsczA/7q
でも、それって特大発を扱える船が20隻もあったってことだよな
大型優秀船だろうから戦車を一度に数十台積める容積もあるから
20隻の特大発対応船舶とは10個戦車連隊ぐらいを一気に下ろせるということで
別に問題にするようなもんじゃねえよな
特殊船や起重機船や鉄材運搬船を回せばさらに楽になるし、もっとあっても良いが駄目な数でもない

そして船舶の蒸気デリックは

作戦要務令第三部
第59
船内搭載区分は、上陸時に於ける任務、行動、上陸順序、船内の警戒配備等を基礎とし、輸送船の構造及び設備等を考慮し、整斉迅速に上陸を実施し得る如く之を定む。

ちゃんと船の能力を確認して、それに合わせて計画を立てろとなってる
戦車降ろしてると他が降ろせませんじゃねえんだよ
だったら戦車は最後にするとか、真っ先に戦車下ろすとか
船の能力と相談して綿密に計画立てろって話

つまりは南方侵攻の船舶は間に合ったが
超楽勝ってことでもなかったので、数も性能ももっとほしいということよね
2018/01/04(木) 02:00:04.61ID:MGPv4NWc
利川丸は30トンデリックの2A型戦標船だが制空制海権のある場所で戦車含めて積み下ろしにに三日間も掛かっているわけだ
制空制海権の怪しい地域では予定通りの場所で積み下ろしが出来るわけでもなく同じことやれったって机上の空論だわな

http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/02onketsu/O_02_270_1.pdf
十九年の七月始めから、徹底的に戦車を分解し整備した。これはおかしいと思ったら八月一日、機甲第二師団 に大動員がくだった (操縦士は車付といい、豆タンはほ とんど指揮官の操縦 ) 。
戦車は九七式中戦車改、砲は四七ミリとなった。第一中隊は索敵、連絡、斥候で九五式軽戦車だった。 夜、勃利駅で無蓋貨車に戦車をのせ、人員は有蓋貨車、 釜山埠頭では三日間、全員で積込作業。
船は一万屯ぐらいの 「利川丸」で、戦車第七連隊と機動歩兵の一部が乗船したが、船内は蚕棚のようで頭もあげられない。
(中略)

我々の目的地はマニラだったが、北のサンフェルナンド港へ十一隻の船が 急拠はいりこんだ。
戦車を降ろしたくもウインチが一台しかないので、甲板のトラックだけかろうじて降ろした (浮ドックのウインチは戦車を降ろす力が無い ) 。
いつ艦艇や空から攻撃されるかわからな い。三日間で戦車以外の糧秣 ・弾薬を降ろした。大休止の間、疲れて椰子の砂浜へ死んだように寝た。
(中略)

戦車を降ろす要員を昼まで待ったがウインチがやられてしまっている。しかたなく浮ドックのウインチを使って吊り揚げたが、
ワイヤーが切れて第三中隊長車は沈んでしまった。ワイヤーを修理して他は降ろしたと聞いている。私の軽戦車は助かったので、
エンジンを試運転したら一発でかかった。その時の嬉しさは忘れられない。
2018/01/04(木) 02:06:04.35ID:MGPv4NWc
上の回想みたいにまともな起重機もないような貧弱な港で積み下ろしを余儀なくさせられたり
自船のデリックも故障することもあるしな
2018/01/04(木) 02:19:03.00ID:OaEiI/ju
>>116
鉄材運搬船(k型だそうな)は10隻有ったみたいだからどうにかなったのかな?でも25トンしか釣れないんだよなぁ。
wikiだと特大発が36トンくらいだから、チハは結局ハシケを使わないと無理そう
でも急遽徴用とかあるけど元々軍の徴用を睨んだ設計だそうだから、ある意味狙いどうりだと思う
陸軍は支那事変時に徴用したk型を気に入ったらしく、その流れをD型に流用したとかなんとか
2018/01/04(木) 02:36:55.83ID:+BHPMidD
普通の大発はガダル撤退時とか、駆逐艦で20ノット曳航したそうだけど、
10ノット内外の輸送船なら普通に特大発曳航できないのかね?
上陸前にチハ乗せるだけなら、15トン吊れれば十分だし。
2018/01/04(木) 02:50:54.95ID:VK6woJjy
そんな無茶な詰め替えとかやらんだろJK
2018/01/04(木) 03:00:17.68ID:rsczA/7q
>>120
特大発は自重17.5トン積載して満載で34トン

大発が12トンまでで、チハに合わせて16トン積みの特大発を後から開発してるから
戦車の重量制限を船舶に求めるなら
大発が12トン制限だったからというのが先にくるね
2018/01/04(木) 03:19:22.90ID:rsczA/7q
>>121
できるできないで言うなら出来ると思う
どうしても大型デリック搭載船の手配が付かず、でも戦車運ぶ必要があるとなったら
特大発に戦車載せて自力航行させるか船で曳航ってのは考えただろうね
幸い南方侵攻時にはそこまで船腹も性能も不足してなかったってことだろうな

大戦末期にはESや二等輸送艦もあるから性能面では更に楽になってるわけだが
2018/01/04(木) 12:09:29.78ID:wFAp/XiS
12トン制限は既出のとおり架橋資材やインフラの方が原因
大発は八九式に寄せてD型の大きさが決まった程度ではないだろか
チハ採用が決まってからおっつけで特大発が作られてすんなり出来上がってる
つまり大発あっての戦車ではなく戦車あっての戦車用大発という開発順位

少なくともチハチニの審査の時点では
陸軍省軍事課(町尻大佐)は甲車載式架橋材料の問題を前面に掲げ12t以内を主張していて
加えて現地(支那)の小橋梁の強度も懸念されるとしこの点ではできれば10t、増しても12-13t以内必須という趣旨
しかし大発動艇の収容能力には触れてない
なお12tだと四舟門橋で渡河させられるがそれを超えると五舟門橋が必要となる模様
2018/01/04(木) 16:37:21.49ID:kZgBCqYs
>>116の資料を読んでみると「特に戦車揚陸の特大発は整備遅れて最も隘路となり〜」ともあったが、輸送船もそれに載せる特大発も足りないという事であれば
揚陸効率は更に悪化するのではないか と思ってみたり(南方侵攻時に投入された特大発って何隻あったん?)
2018/01/04(木) 18:14:59.80ID:CpmDemG8
チハクラスなら架橋問題はともかく積み込みなら砲塔取り外して二分割も視野に入ったろうに
陸自の九○式戦車みたいなことよ
2018/01/04(木) 18:17:01.54ID:E3DLlQmW
南方軍は一応60隻持ってるみたいね
コレヒドールには5隻使用したっぽいから、十分と言えば充分…?
2018/01/04(木) 18:34:47.16ID:kZgBCqYs
>>127
それやると今度は砲塔の取付を上陸後にやらなきゃいけないんで>>118みたいな状況がより悪化する危険が…
揚陸できてもその後の作業で(恐らくは通常よりも多くの)時間を取られ、その間首なしの戦車ばかりが敵前に並ぶんじゃ敵の利にしかならん
2018/01/04(木) 18:41:01.95ID:rsczA/7q
>>126
南方侵攻時にあったのは100隻あるかないかぐらいだったはず
特殊船で露天で重ね積みで特大発10隻(+大発6隻)
徴用貨物船でこれ以上が積めるとも思えんので
100隻を大型デリック船20隻で割って5隻ずつまでだろうな

各大発への荷降ろし時間は最短でも10〜30分はかかる
錨泊地と揚陸地の距離や上陸地点での事故や手間取り等を考えると
平均20分で荷降ろしできるとして
特大発が5隻あるなら100分以内に戻って来りゃ良いけど
これが2隻とかになると船のほうが待たされることにもなるんで
数が隘路かというとそのとおりだが
舟艇数があっても揚陸地で大混乱で帰ってこないとかも良くあるんで
なかなか奥が深いはなしである
2018/01/05(金) 01:01:22.27ID:Ypjeyx4z
>>129
どうやろ
上陸し終わるまで遊ばせておくよりかは先に下ろすだけ先に降ろさせて地上で急がせるというのも
2018/01/05(金) 01:04:57.09ID:bRPGgPk7
ガダルやレイテ見ても、揚陸までは何とかこなすけど、その後の分散隠匿が
間に合わなくて空襲で焼かれたり、陸上を前線まで運ぶのが滞って
揚陸点に物資山積み前線で不足なんてケースがまま見受けられるからなぁ。
2018/01/05(金) 01:16:07.26ID:Ypjeyx4z
というのもほかの物資揚陸もある中での少ないデリック数じゃ戦車1輌降ろす間に先発の1輌の首が付きそうな…?
比島決戦の様に、空も海もやばかったとしても、とりあえず日本側占領下の地域に降ろすなら、先に首別れで降ろしてもむしろ陸に敵が居ないのならとどまるよりはいいんでね
問題なのがむしろ制空権確保してるけど敵地占領下に殴り込む場合で、その場合だとマチルダ1みたいな機銃戦車状態で送りつける事になるからあかん
2018/01/05(金) 02:09:24.43ID:Ypjeyx4z
>>132
空襲で焼かれるのは揚陸部隊側の敗北だけど揚陸が完了したブツが届かないのはその現地軍の輜重の壊滅状態という件になると思う
まあ砲塔分割は数トンある砲塔を吊るせる工兵機材から始めにゃならんので果てしなく遠回りだけどね
陸自も九○式のトレーラー輸送は嫌がっての一○式の重量でもあるし
2018/01/05(金) 15:27:20.78ID:IuuXqC2k
砲塔と車体を分離して揚陸しても特別メリットはないということでFA?
2018/01/05(金) 23:31:59.02ID:qPkoltrp
仮に倍早く揚陸できても20両の首なしと10両の完品じゃ歴然でしょ
2018/01/06(土) 00:09:28.76ID:xG2q7iVl
ハナから降ろせない重量物を降ろす手段だから0両の戦車か20両の首無しかだろ
俺ならそんなんより食糧や自動車の揚陸させるが
2018/01/06(土) 00:30:04.27ID:VpGXWnup
別に首無しとかにしなくとも
上陸してからボルト止めで増加装甲を付ける前提の車両とかでも良いと思うが
2018/01/06(土) 00:45:20.80ID:xG2q7iVl
減らしに減らした装甲であれだから増加装甲というよりは装甲そのものが取れるみたいになるな
最大2.5センチ厚の装甲を増加装甲と本体装甲とに分ける自体よりかはいっそ本装甲が取れて一見謎の物体と化した戦車状態の方がマシ
2018/01/06(土) 01:02:12.16ID:PoVcqsrI
あんまりバラすと一部分海没するだけでちゃんと使えなくなる恐れが…
2018/01/06(土) 01:18:49.92ID:yesQZvDH
浮袋つけてそのまま海に叩き込めばいいんだよ@DDシャーマン
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