日本人が「日本人とは如何なる存在か?」を説明するのに等しいですな。
言語化出来ない、しかし日本人とそうで無い人を分ける価値観や感性の違いは間違いなく存在する訳で、
その辺を言語化、体系化するのは難しいのよねえ。

新渡稲造の「武士道」は、そういう日本人的なモノを欧米人に理解し易いフォーマットに落とし込んで説明する
ためのモノである、という分析もあるの。
無論、別のフォーマットに変換した以上、本来のモノとは多少のズレが生じてしまう事は避けられないため、
その辺りで批判があったりする訳だが。