昭和恐慌直撃で、東大でたのに就職先の無かった土井武夫氏は川崎造船の現場工として就職した。
しかしその後景気回復、航空機開発/生産の機運が増してきてからは川崎航空機に移り、10年後には設計の偉い人になっていた。

新分野の産業勃興時というボーナスタイムではあるが、一芸に秀でてる人はやっぱり人生の選択肢に困らないんだなと思った。
まあこの人の場合は当時の日本に10人といない特殊技能の持ち主になった訳だが。
ただ惜しむらくは師匠がフォークト博士(ry

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『ご愁傷様』と『死亡確認』のどっちが適切だろうと思ったが正解は後者だった。