>>168
アメリカの空母艦載機による雷撃を受けているとき、赤城の魚雷回避の操艦をしていたのは
南雲司令長官。
艦橋にいた連中が「さすが水雷屋」と感心していたそうだから、被弾直前まで
南雲が操艦していたのは確か。