大佐が攻撃性を向ける対象がパヨクから日本人全体へと明確に拡大したのって、確か去年の総選挙の前後からなんですが、
経緯はどうあれ大勝利し、それから2ヶ月で防衛政策も大きな転換点を迎えました。これについては大佐もかなり喜んでいました。
なぜそれと同時平行で思想信条に変化が生じたのか、どうにも疑問が有ります。
(ついでに本邦の軍事独裁化を明確に主張し始めたのは今年に入ってからだったかと)