Wiki「牟田口廉也」から抜粋

・インパール作戦が敗色濃厚となり部下の藤原岩市参謀に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより慰留を期待しての事とされる)。
 これに対し藤原参謀は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、
 幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。
 誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と苦言を呈され、あてが外れた
 牟田口は悄然としたが自決することなく、余生をまっとうした。
・インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。
 「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。
 皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
 弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。
 日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」。訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で
 立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた。
 この牟田口の訓示は、牟田口の出身地である佐賀の書物『葉隠』に採録の大木前兵部(大木統清)の言葉に由来している。

・・・この逸話がウソ捏造で無く事実であるならば、これだけでこの阿呆の器が知れるだろう、これで責任無しはお釈迦様とてビックリだ