平賀が46cm積みたかったとこまではまあ良い
実際には全く決まっていなかったというところ

後日、当の平賀が当時の皇太子(つまり昭和天皇)に高覧してみせた予想図では
7号艦型(いわゆる13号艦型)のシルエットは金剛型類似の
後部2砲塔が大きく間隔をとった四砲塔艦だったので
少なくとも福井静夫の描いた長門ライクのシルエットは間違いだったということになる

まあ平賀はこれを46m連装にしたかったんだろうが現実的には41cm三連装になったと思われ
紀伊型がどうやら2隻で打ち切り、最後の2戦艦は少なくともサウスダコタと同等以上の砲力を求められているから
こちらも12門程度以上の41cm砲積むんだよね
実質的にはこのタイプを6隻揃えるかたちで決着するんじゃなかろうか