ttps://twitter.com/neetbuddhist/status/831332190080294912?s=19

たぶんみんな何を言ってるのかさっぱりわからないだろうと理解しつつ言うけれども、これは日本人が総じて「現実」を神とする「現実教徒」であり、この「現実教」において敬虔な信徒であるためには、
「冷徹なリアリスト」でなければならないという認識が、広く共有されているがゆえの現象だと思うなあ。


日本においては空想平和主義のおばちゃんでも自分のことを「冷徹なリアリスト」だと思っているし、
また「現実を直視すべきだ」という規範に関しても、誰でもが口にするものとして、むしろ常識に属している。

しかし、その「現実」なるものは各個人によって異なる物語性(言い換えれば、認知を規定する枠組みの負荷の差異)を不可避的に伴うものであり、
ゆえに必然的に多様化するという事実に関しては、広く認識されているとは必ずしも言えない。

つまり、「現実」というのは事実としては多様なものであるのに、多くの日本人は「この世には唯一の現実が存在しており、(敬虔な現実教徒である私は)それを冷徹に認識している」と思っている。
眼前の多様に変化する認知の一断片が絶対化されることで、そこに超越性が(無自覚に)付加されるわけです。