>>963
実際には当時の日本は少なくとも第二次上海事変以降に関しては昭和天皇の裁可を受けて反撃を行ったし、
国民の圧倒的な支持を受けて近衛総理が「爾後国民政府を相手とせず、新興支那政権の成立発展を期待する」と近衛声明を出している。政府の命令を無視するどころか国民の支持を受けて全面戦争に突入した。

(陸海軍は天皇陛下の意向に従って塘沽協定したし、盧溝橋事件でも不拡大方針をとって市ヶ谷は現地軍の停戦協定維持を支持した。
そんな状況下において国際共同租界へ停戦協定や条約違反の総攻撃を仕掛けてきたのは国民党軍。
日本は自衛権を発動し反撃を行うが、昭和天皇が上奏された二個大隊の上海派遣案に対して、「二個師団の間違いではないか?」と述べられたことから上海派遣軍の大増派が決まった)