とは言え「幻の反応動力空母ヒテン」云々は北の暴風作戦でノルトマン少将らがそう言っていただけで、
1951年3月の時点では大西洋にそんな空母は存在しなかったし、日本本土の海軍工廠でそんな空母が
建造中なのかも作中では示唆されていません。

戦後ならまだしもドックのやりくりの厳しい戦時下でそんな手間のかかり過ぎる艦を建造する余力があったか
怪しいし、ぶっちゃけ日本側の流した欺瞞情報をドイツ側が掴まされていた可能性も。

実際、ドイツ側は戦艦播磨の性能を意図的に低くされていた情報を信じてニューヨーク沖海戦まで
その間違いに気づかなかったし、ノルウェー沖海戦では葛城級(大鷹級)の建造隻数を実際より少なく
見積もったまま第2機動艦隊と交戦したから、この時点ではヒテン級も実際に幻だった可能性は高そう。

反応動力空母そのものはいずれ日本海軍も建造していたでしょうが、そのネームシップが「飛天」と
命名されたかどうかはそれこそ墓の下の佐藤御大のみ知る事でしょう。