前スレ999から
>戦争が、どうしよもなく彼我の意志の交差による「霧」の中にあることが今一つ認識できてないようだな。
>編制も装備も教育訓練も人事体系も、全ては敵味方の意志が激突する作戦・戦闘からの逆算でできているから意味があるのであって。
>それが変われば連動させて教義全体をサクサク変えていくものです。
>戦役前も戦役中も戦役後も。
>生き残る奴は、「大きい奴」でも「地力がある奴」でもなく「適応できる奴」。
>それが"maneuver warfare"という戦争観の本質。

あなたが言ったただ一つのドクトリンを元に軍隊を作ることは、ボクサーがただ一試合限りの作戦のために体から技術まで作り上げたような話だ。
極めて限定された状況に強いが、それは次の試合、次の相手に通用するかとか分からない、またっく想定外の相手と戦う場合、それは役に立たないだろう。

現実の軍事組織はリング外で戦うストリートファイターだ、そのため、未知の相手や状況を対応するために、優れる身体能力、複数の領域に渡るのスキル、知識、更新され続ける情報が必要された。

例えばアメリカ軍が冷戦時代で第三次世界大戦を対応するために作り上げた機甲部隊は、ベトナム戦争ようなの対ゲリラ戦争を上手く対応できない。
ソ連軍同じ理由によってアフガンで苦戦した。
しかし軍事組織の地力があるため、苦戦の中で上手く適応、そして学習した。
後冷戦時代の対テロ戦争での主力は、ベトナム戦争とアフガン戦争の戦訓から作り上げた軽歩兵と特殊戦部隊だ。

作戦というのはあくまで軍事組織の地力を発揮する手段であって、特定の作戦方式に拘りすぎると、逆に思考は制限される。
実際、旧日本軍においてそのような弊害は顕著だった。
他の軍隊においても従来の作戦方式に拘りすぎて高い損害を無視して効果が薄い作戦を強行したケースはあった。