なお「日本陸軍用兵思想史」でも、日本用兵思想上の問題を引き起こした原因の一つとしてモルトケを上げています。

「その思想の来歴の一つには、開戦と講和は政府の責任で、政府に従うが、戦争が始まったら作戦は独立不羈であるべきだとするモルトケ流の考えがある」

この点をもって考えれば、やはりモルトケは「作戦的(オペラチィーフ)」な段階で立ち止まっており「作戦術」には至っていないと認識すべきだと再度主張しておきます。
(作戦術として実際には実行されていたとしても、それは政府とのやりとりの中で無自覚に行われた事であり、意識上で意図的な連携は嫌っていたと考えるべきではないかと)
(ある意味、極論で言えば作戦術を現実で実行したが本音では否定していたともいえるかもしれない)