WW2 ソ連 軍用機について語るスレ1
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東西冷戦下でその評価が歪められ、長らく実態が掴めなかった第二次大戦時のソ連の軍用機について語りましょう。 ポリカルポフ設計局
[I-15] 複葉戦闘機。1934年生産開始。スペイン内戦で活躍するも独ソ戦時までに旧式化しており早々に第一線から退いた。
[I-153] I-15の改良型。1938年生産開始。ノモンハン事変、冬戦争での主力機。独ソ戦では対地攻撃機として転用される。
[I-16] 低翼単葉、引込脚付戦闘機。1933年生産開始。改良を重ね、スペイン内戦から独ソ戦前半まで第一線で運用される。 ラボーチキン・(ゴルブノフ・グドコフ)設計局
[LaGG-1] ソ連が1938年に出した新戦闘機計画による。1941年生産開始。重量過多による性能不足のため少量生産に留まる。
[LaGG-3] LaGG-1の改良型。1941年生産開始。独ソ開戦時に大量生産され幅広く前線に投入されたが一方で粗製濫造も多く見られた。
[La-5] LaGG-3を空冷エンジンに換装した改良機。1942年生産開始。スターリングラード攻防戦に投入され、以降反攻作戦の主力機として活躍。
[La-7] La-5をベースにした後継機。1944年生産開始。独ソ戦終盤に投入されて以降、朝鮮戦争まで運用される。 ヤコブレフ設計局
[Yak-1] 新戦闘機計画による木金混合機。1941年生産開始。独ソ開戦時に独戦闘機に対抗できる数少ない機体で、後のYakシリーズのベースとなる。
[Yak-3] Yak-1をベースに低空性能を重視した改良型。1944年生産開始。操縦性に非常に優れる。戦後はより発展性の高いYak-9が主力となった。
[Yak-7] Yak-1の複座練習型を単座にした戦闘機。1941年生産開始。Yak-1より操縦性が良く、対航空機、対地攻撃支援と幅広い用途に使用された。
[Yak-9] Yak-7の改良型。1942年生産開始。派生型も多く独ソ戦後半の主力機として活躍。戦後も全金属型が開発され旧共産圏諸国で使用された。 ミコヤン・グレビッチ設計局
[MiG-1] 新戦闘機計画による木金混合機。1941年生産開始。高空性能に優れた高速機だが欠点も多く少量生産に留まる。
[MiG-3] MiG-1の改良機。1941年生産開始。独ソ戦初期の防衛戦に使用されるも1942年にエンジンが生産終了となる。 ツポレフ設計局
[SB-2] 双発爆撃機。1935年生産開始。スペイン内戦に投入されたが独ソ戦時は旧式化と劣勢な戦局により多くの被害を出し第一線から退いた。
[Tu-2] 双発爆撃機。1942年生産開始。戦局により本格量産は44年から。性能面で他機種に優れ、戦後も旧共産圏諸国で広く使用された。 イリューシン設計局
[Il-2] 大戦中の対地攻撃の主力となった襲撃機。1941年生産開始。モノコック形状装甲により高い耐弾性を持ち、戦後も旧共産圏諸国で使用された。
[Il-10] Il-2の後継機。1944年生産開始。反攻作戦から終戦まで活躍。戦後も派生機は1955年まで生産が続けられ、旧共産圏諸国で使用された。
[DB-3] 双発爆撃機。1936年生産開始。汎用性が高く、独ソ戦を通じて幅広い任務に投入された。
[Il-4] DB-3の改良型。1942年生産開始。汎用性が高く、爆撃任務の他にも幅広く運用された。海軍でも使用され、機雷敷設や雷撃任務に就いた。 ペトリャコフ設計局
[Pe-2] 双発爆撃機。1936年生産開始。操縦性に難があったものの速度面の評価が高く、終戦まで量産が続けられ、戦闘機型も作られた。
[Pe-8]、四発長距離爆撃機。1939年生産開始、翌年まで少数が生産された。独ソ戦前半の守勢時に敵拠点爆撃任務に就いた。 スホーイ設計局
[Su-2] 単発軽爆撃機。1940年生産開始。独ソ戦序盤、劣勢な戦局により大きな被害を出し、Il-2に任務を譲り第一線から退いた。 レンドリース機種
[P-39] 各型式が供与される。独機に優る低空性能を生かした制空任務から対地任務まで幅広く活躍した。翼内機銃は降ろして運用された。
[P-40] B/C/E/K/L/N型が供与される。B/C型は翼内機銃を降ろして運用された。航続距離に優れ、対空から対地まで幅広い任務に就いた。
[P-47] D型が供与されたが活躍の実績なし。機体の特性と東部戦線の空戦事情より前線運用には向かず、主に都市の防空任務に就いた。
[P-63] A/C型供与されたがP-63の活躍の実績なし。受領のみで前線に投入されなかったか、P-39の1つの型として捉えられていたのか不明。
[ハリケーン] Mk.IIが供与される。飛行安定性の高さと運動性能の低さから主に対攻撃機、対地任務に就いた。
[スピットファイア] Mk.V/IXが供与される。高空性能が高いが低空性能と前線運用能力が低いことから主に都市や拠点防空任務に就いた。
他にB-17、B-24H、B-25も供与された。 試作機(おまけ)
[I-185] ポリカルポフ設計局のI-16後継機。1941年初飛行。問題が解消せず、量産に移行できないまま独軍の侵攻により開発が中断された。
[Su-3] スホーイ設計局が開発した高高度迎撃用試作機Su-1の改良型。1942年初飛行。排気タービンの問題を解消できず開発中止。
[Bi-1] ロケットエンジンを搭載した戦闘機。1942年に初飛行し試作機7機が作られた。短い航続距離の解消が望めず開発中止。 >>15
ヤクもラグも木製/木金混合戦闘機を大量に作った。
しかしそれらの戦闘機は耐用年数が短いため大戦後、急速に飛行不能になった。
そこでヤクもラグも全金属戦闘機の生産・開発に没頭せざるをえなかった。
結果、ジェット化には完全に乗り遅れてしまった。
・・・
良いスレだけど需要が無いのかな? やはりドイツの侵攻時に組織だった反撃もままならず壊滅的な損害を出したことが大戦のソ連機全体の評価の低さ、興味のなさに繋がっているのかな。
まあペースが遅くても構わないので少しずつ話していこう。
1939年8月にノモンハンでI-16がロケット弾で空対空攻撃をしていたとか、あまり知られてなくて面白いと思うけどね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/RS-82_(%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E5%BC%BE) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています