FSX選定時は欧米の航空機メーカーは
まだまだ輸出専用機が売れると思ってた時代だったのがあの迷走の原因
MD社が考えていたホーネット2000は現在のF/A-18E/Fとはちがい
米軍での採用を前提してない輸出専用戦闘機の戦闘機計画
この時代まノースロップがF-20、フランスのダッソ-がミラージュ4000を開発したりと
本気で輸出戦用戦闘機が売れると信じられていた時代だった
だけどこれらの輸出戦闘機計画は全て計画放棄に追い込まれている
この頃から開発国本国で採用されない戦闘機は途上国にも買い手はいなかった
それに気がつかないMD社は相当にセンスが悪く政治問題化までして国産FSX案潰しに奔走した
そのセンスの悪さは80年代後半からの凋落を招きボーイングに吸収されMDの名前が消滅した
F/A-18の完成機採用が不可能な時点でMD社にとってはほとんど無益な奔走だった