故加藤九祚先生は「僕はシベリア抑留でいろいろ辛い目にもあったけど、そのときロシア語を身に着けて、恨みを捨ててソ連を研究フィールドにしたから多少の業績を残すことができた」とおっしゃってたなあ・・・