昭和恐慌期の制度についていえば,除隊兵は訓練した戦闘技術と忠誠思想を失わないために予備 役(陸軍では5年4か月,海軍では4年)とその後の後備役(陸軍では10年,海軍では5年)に 順次編入され,
その間は毎年簡閲点呼に召集されるとともに,勤務演習として1年に1回を限度と して陸軍は35日以内,海軍は70日以内召集される可能性がありましたし,もちろん戦争が起これ ば召集されて戦地に行かなければなりません。
こうした継続される義務によって欠勤が多くなるこ とが予想される労働者を雇用することは企業の好むところではなかったため,除隊者の多くは労働 市場の下位に位置付けられ,日雇労働者とならざるをえない者も少なくなかったと想定されます。
この問題は平時であれば,除隊して思うような職業を見出せない者が「徴兵を逃れられればもっ と充実した職業生活が送れたのに」と諦めるだけで済んでいたのかも知れませんが,
現実には日中 戦争以降の兵力総動員体制の下でその問題性が顕在化してしまったと解釈されます。すなわちアジ ア・太平洋戦争の拡大によって兵力動員が順次拡大され,
最終的には満40歳までが徴兵の対象に なったのですから,20歳の時点では首尾よく徴兵を逃れることのできた85%の若者・中年者の大 半が未教育兵として入営させられることになったわけです。
その時,兵営のなかで日常的に生活と 訓練の指導役となったのは,20歳の時点で入営した後下層労働者として働いていた時に召集され て再び入営することになった者たちが多かったはずです。
この結果,平時における二年兵の初年兵 に対する制裁措置とは社会的意味の異なる制裁が,徴兵によってキャリアを中断された者の被害者 意識に支えられて広まっていたように感じられます。
「20歳の時点では首尾よく徴兵を逃れることのできた85%の若者・中年者」に対する「20歳の時点で入営した後下層労働者として働いていた時に召集されて再び入営することになった者たち」の恨みを考慮する必要がありそうですね。
兵隊にとられたためキャリアの空白が生じてしまった戦前版「年長フリーター」、あるいはむしろ当時の年齢感覚から言えば「中年非正規」の人々。
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839名無し三等兵
2018/08/03(金) 10:16:03.85ID:rqiXDhEV■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
