大陸打通作戦
南方で米軍の前に敗退を重ねていた日本陸軍が南方との陸上交通を確保すべく広大な中国大陸縦断を目指した陸軍史上最大の作戦
作戦は大本営第二作戦課長 服部卓四郎大佐の机上で計画されたものである
途中で「インパール作戦の轍を踏むな」と中止論が出るほど過酷なものとなった
だが服部大佐の面目を保つ為に作戦は続行された しかし8ヶ月をかけて目的地を占領した時
その作戦は全く無意味なものになっていた
作戦に参加した静岡第34連隊の約4300名の内 2200名が戦死 その内8割が病死、及び自殺だった

NHK「証言記録 兵士達の戦争シリーズ 中国大陸打通 苦しみの行軍」より