>>551
中世はパンに使うレベルに細かく引ける小麦を挽く機材が公有化され庶民は金を払えず
手挽きの石臼で作れる粥や押し麦を食べていた(日本も明治半ばまでパンを作る
際には粗挽きしかできない石臼ぐらいしかなく輸入していた)
豆が多く食べられていたのは栽培で窒素を有むからで休耕田や冬季に栽培された
だいたいがカラスムギなどの低廉な麦の粥に豆や野菜を入れたもの