リバイバル
太平洋戦域厳しすぎるから米兵はみんなヨーロッパ戦線に行きたがったんだけど

兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした
第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を
終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。
「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう
か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。
行く先はヨーロッパだとわかったからだ」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁>