最近、どん百姓だと思っていたウリの父方の家系が一応郷士の家であり、某藩藩士のなれの果ての可能性が出てきて、
「寛政重修諸家譜」とかいろいろ調べてるんだが、
側室なんて囲えない旗本や下級藩士の家はどこも2〜3代おきくらいに赤の他人が養子に入っていて、生物学的先祖なんて追えたもんじゃない。
封建制時代の家っていうのは家禄という株を受け継ぐ経営体としての要素がとても強い。
商家や農家も大して違っていたわけじゃない。
血族集団としての利益共同体である中韓の家の方がよっぽど動物的古代的なんだが。