文谷さんはよく東条は明治憲法下でも違憲と言っている。だが、東条を違憲と批判することの意味を本当にわかっておられるのだろうか。
確かに東条が戦時中、違憲と批判されたのは事実だ。しかし、それは「首相と参謀総長の兼任は、明治憲法から導かれる統帥権独立の原則に違反する」という意味においてである。
統帥権独立の原則とは、軍事は内閣や国会に干渉されず独立するという原則だ。内閣の長たる首相と参謀総長の兼任は独立を侵害するという論理で当時批判がなされた。
実際、東条は、政治と軍事が分裂状態にあるという明治憲法の欠陥を克服するため、すなわち同原則を侵害するために兼任したのであり、当時、批判に対してまともに反論できていない。
よって、東条の違憲性を理由に批判することは、統帥権独立の原則を強硬に擁護する立場をとることになるわけだが、文谷さんはそれでよいのだろうか。統帥権独立の原則が我が国にどのような災厄をもたらしたかは皆さんご存じのとおりである。
文谷さんは、ある主張をすれば、必然的に特定の論理に乗っかることになり、必然的に特定の立場に立ってしまうということを理解しておらず、自分が嫌いな奴を批判してくれる言葉であれば、内容を精査せずに採用してしまっているのではないか。
まぁ、俺も東条が素晴らしい首相だなんて思ってないが、憲法の話をすれば凡百とは一味違って見えるだろうと賢しらをして滑ったならかっこわるいよね。