【M4】汎用戦車 Part2【T-34】
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大戦中大量生産された戦車
どちらの方が優れているのだろうか?
※小文字だつおNG用としてIP無しワッチョイ導入
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前スレ
【シャーマン】汎用戦車【T34】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1511950488/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 空冷星型搭載はそれ以前の戦車からずっとだし、ディーゼルや水冷V8やマルチバンクエンジン版も作ったし ドイツの初戦の快進撃を見て、大慌てで作ったやっつけ仕事な一面は確かにあるかもしれない
『やっつけ仕事』で十二分に実用に足る性能が出てくる事こそアメの自動車技術の高さを証明するものではないのか
ある意味パーシングが時間的余裕を持って作られた版シャーマンとも言えるんじゃね 1942年中生産型第1号車が完成している戦車で
トーションバー式サスペンション・ディーゼルエンジン・75mm砲以上(回転砲塔)
低い全高、傾斜装甲などの条件があれば文句なしでNO.1の評価取れたかもな T23E3が、ハイブリッドエンジンではなくM4A2やM10のツインディーゼルエンジンで、もっと早く開発されていたら良かったのに M18 (駆逐戦車)も装甲が厚くてディーゼルなら悪くないんだけどなぁ それってほぼトーションバー式サスペンション化されたM10なのではあるまいか アメリカの戦車とロシアの戦車を比較した場合、明らかに後者の操縦の方が際立って難しい。
ロシアの操縦手には、走行中にギアチェンジを行う名人芸レベルの技量、サイドクラッチを使用する
特別な熟練度、またメカマンとしての豊富な経験と戦車を走行可能な状態に保つ能力(すなわち頻繁に故障す
る部品の調整と修理の能力)が求められる。このことは、戦車の操縦手の養成を極めて困難にしている。
送られてきたサンプルから判断する限り、ロシア人は戦車を製造する際、加工の丹念さや細部の
仕上げと技術にあまり注意を払っていないように見える。この結果、全体としては優秀かつ考え抜かれた
設計の戦車が、折角の優位点を失ってしまっている。
ディーゼルエンジンの採用、優れたフォルム、厚い装甲、優秀で信頼性の高い武装、履帯の設計の成功
といった利点があるにもかかわらず、ロシアの戦車はアメリカのそれと比べると操縦の容易さ、機動性、
火力、速力、機械的な信頼性及び調整の容易さといった諸点において非常に劣っている。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya1.4.html >>10
>シャーマンに設計思想などなく、もちろん参考にした国もない
スーパーシャーマン(Super-Sherman)は、
アメリカ合衆国が開発・生産したM4シャーマン戦車に、イスラエル国防軍(IDF)
が独自の改良を加えて1950年代から1980年代にかけて使用した
M1/M50/M51戦車の通称である。 >>5
>日本の戦車のような軽装装甲車を撃退するだけで良かったなら
大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁 文・古是三春> 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! トランスミッション:
議論の余地なく劣悪である。これに関しては、以下の如き興味深い出来事があった。
KVのトランスミッションを修理していた技術者が、12〜15年も前に取り扱っていたトランスミッション
と非常によく似ていることに気づき、衝撃を受けたというのである。その会社にも問い合わせた。
先方からは、A-23タイプのトランスミッションの図面が送られてきた。そして、我が国の戦車のトランス
ミッションがこの図面の完全なコピーだという事実は、皆を驚愕させるに足るものであった。
アメリカ人たちを驚かせたのは、我々がコピーを行ったという行為それ自体ではなく、
15〜20年前にすでに時代遅れとなっていた製品をコピーしたことである。アメリカ側は、
このトランスミッションを戦車に採用した設計者は、操縦手に対し非人間的なまでに厳しい態度を取ったも
同然だと見なしている(それほど取扱いが難しい)。T-34のトランスミッションもまた非常に出来が悪い。
実際に使ってみると、歯車の歯が全て欠け落ちてしまった(しかもすべての歯車でこれが生じている)。
歯車を化学的に分析した結果、熱処理のレベルが非常に低く、アメリカが同種の製品を作る際に採用している
基準には全くそぐわないものであったという。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya1.3.html イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、
ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、
実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254 ○林(百)委員 そうすると、朝鮮事変か擴大されても、六百五十億以上の費用は持たないという、
いかに擴大してもこれ以上日本は費用は持たないという答弁と私は解釈しますが、それでいいかどうか。
その点とそれからもう一つ、実は本日の新聞にも出ておるところでありますが、国防分担金にからまりまして、
米軍が最近発注する兵器が工場渡しになつておつて、米軍の照明弾二百二十九万四千発、ナパーム爆弾用
タンク十万二千個大阪機工へ注文しておる八十一ミリ迫撃砲四百八十九門、小松製作所及び大阪金属両社の
同砲弾六十二万五千四百発、豊和工業の銃身三千百九十ちよう、迫撃砲弾三十六万三千発、照明彈三万二千発
の入札が在日米軍の調達本部で行われて、
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0082/01306140082034a.html
○福井(勇)委員 前回私が佐々木説明員に説明を聞きました場合に、外国から終戦後入つた機種は、
兵器製造用のマザー・マシンとしてわずかに百二十一台しかないようであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/015/0798/01502180798021c.html KVのトランスミッションを担当した技師N.F.シャシムーリンが述べているところによれば、
ギアボックスの図面はKV設計チームのリーダーであったN.L.ドゥーホフによって提示され、
キーロフ工場の設計主任Zh.Ya.コーチンから承認を受けたのだという。図面自体の出どころはアメリカの雑誌で、
20世紀初め頃にホルト社(有名なキャタピラー社の前身である)製のトラクターで使われたギアを
図示したものであった。勿論、図面をそっくりそのままコピーしたわけではないのだが、
しかしKVのギアもこの図面も原始的な構造を持っており、お互い非常によく似通っていた。
図面自体の出どころはアメリカの雑誌で
図面自体の出どころはアメリカの雑誌で
図面自体の出どころはアメリカの雑誌で M4とT‐34がクルクスで3000輌づつで戦ったら
どっちが勝つの? 朝鮮戦争でのM4A3E8対T-34-85だったら、前者が勝ってる 朝鮮半島は山岳地帯が多く地形が大分違うからね
険しい太平洋の島々で戦ってきたM4に分があるだろう 互いの砲弾は命中すれば相手を撃破できる
(シャーマンは大戦中あまり供給されなかったHVAP弾を、朝鮮では充分に持っていた)
なので大戦中の実戦経験があり、射撃の腕の良いアメリカ戦車兵の方が勝率が高い ファイアフライの17ポンド砲のAPDS弾はパンターの傾斜80mm車体前面をも貫くが、距離が離れると命中率が急落する
やはり正面から撃ち合ったらパンターが先制して勝ち 蛍は爆煙が凄すぎるから、撃った直後に移動する必要があるので
戦車戦には向かないかも スペック上、パンターと互角なのがコメット、やや勝てるのがセンチュリオンMk.IやT-44だろう 1945年3月15日の報告だと、全戦線あわせての稼働率がIV号戦車62%、
パンター 48%、ティーガーII 59%、パンター酷くね?ティーガーII以下って ギアチェンジのタイミングを失敗すると、シングルラディアス式最終減速機の歯車や、まきぞいで変速機まで壊れる事があるのと、
ティーガーの独立重戦車大隊には専任の整備中隊のバックアップがついてるからな 使い方によるからなんとも
虎Uは軍直轄の火消しだろ ティーガーIは実際そうだったが、IIがそれを実行できた事があったっけ? できたかどうかはともかく、編成上は軍直轄の独立重戦車大隊だろ
実際に投入したらガス欠か機械トラブルで帰ってこないから、まあ温存されるよなって パンターと同じ大きさで、同じくクルスク(クルクス?)でデビューした
IS‐2はどう?
こっち方が強そうなんだけど してねえよ、クルスクでデビューしたのはSU-152だ
SU-85はもっと後のドニエプル川渡河作戦から、IS-85(IS-1)の初陣は更に後 >>50
IS-2は、砲のサイズが違いすぎてパンターのライバルとは言えない
KV-1及び2を改装してKV−85を合計1000輌
IS-2の内5000輌をIS−1として完成させれば
パンターのライバルと言えるね そもそも歩兵を支援し陣地突破用に重戦車のみで編成した、独立重戦車連隊や独立親衛重戦車旅団に配備されるIS-2と、普通の戦車連隊の主力となるパンターではカテゴリーが違う 登場時期とスペックで比較するとこんな感じか
T-34≒M4≒W号
T-34/85≒蛍≒彗星≒M4A3E8
IS-1≒豹 IV号の開発時期は古いし、コメットは装甲も火力も正面からパンターとやりあえるレベル >>55
ホンになんでコメットを1943に実用化できないのか…
技術的にそんな新しいとこないだろあれ
とは思うがまあ無理かぁ〜
ふっ切れるとセンチュリオンまで爆走しちゃう紳士さんたちだけど、でもまああれも重すぎるよね、と その前のクロムウェルの計画が迷走しまくって、キャバリエやらセントーやら余計な戦車を生み出したあげく大幅に遅れたのが原因では
17ポンド砲搭載(結局77mm砲になるが)のA43計画の開始が1943年2月、これがコメットなんだから年内に間に合うわけがない
そして北アフリカ戦の経験から、これから開発する戦車はどうすべきか初めて示されたのが1943年9月
そこから巡航戦車でありながら、防御力も重視した「重巡航戦車」というべきA41が計画されセンチュリオンとなるが、実戦には間に合わなかった センチュリオンとJS3は戦争にギリ間に合わなかったあたりロマンを感じる。
パーシングとコメットはあと半年早くデビューしてれば・・・と惜しさを感じる。 >>55
パンター46t、箒星33tの差って
拳闘のベヴィー級(190lb)とライト級(130lb)と同じなんだよね
装甲は部分的には同じかも知れんが、勝てる確率は低いんじゃない? と言うか、パンターは性能の割にデカすぎるのだ
操行装置はブラウン・メリット式で超信地旋回もできるコメットの方が上等 ドイツ人の体格に合わせたんだから仕方ないだろw
まあサイズよりその結果としての重量がね う〜ん、確かに大きいけど
砲貫通力 パンター ≒ ティーガーI
対弾性(装甲厚さ含む)パンター < ティーガーI
機動性 パンター > ティーガーI
重量 パンター 46t ティーガーI 57t
、、、いいとこなんじゃないかな ドイツは何でもデカく造ちゃうんだよ
戦艦も
アメリカのノースカロライナが16㌅砲9門で35,000dに対して
ドイツのビスマルクは15㌅砲8門で43,000d
防御力はビスマルクの方が落ちる
更に建造中止になった16㌅砲8門の戦艦は、56,200d 文字化けした
ドイツは何でもデカく造ちゃうんだよ
戦艦も
アメリカのノースカロライナが16インチ砲9門で35,000dに対して
ドイツのビスマルクは15インチ砲8門で43,000d
防御力はビスマルクの方が落ちる
更に建造中止になった16インチ砲8門の戦艦は、56,200d ビスマルクの装甲は集中度が低いので艦砲の撃ち合いでは防御力が低くなっているが
重量ベースでは装甲は多いので
空爆に対する抗じん性は高いのである コメットの車体装甲ってクロムウェルと同じようなもんだろ
あれを見てパンターと比較するなんて間抜けも良い所じゃん
比較対象は4号H型やT34-85で、4号H型よりはカタログ性能は高いでFA IS−1も大量生産してくれりゃ
パンターの好敵手として名を残しただろうな 実はMk.VIIで前面101mmになっているクロムウェル コメットの4インチ砲塔装甲でもパンサーのPzgr39は距離1500mで貫通可能
一方で77mm砲もAPDSを使えばG型の砲塔装甲を距離1500mで貫徹できる 当時のAPDSは遠距離での射撃精度が低かった
ファイアフライなんかも近距離戦で使ったみたいね マズルブレーキ付の砲でAPDSを撃っていたんだから精度が低くなるわな 有翼のAPFSDSならまだわかるが、APDSの命中率とマズルブレーキの有無って関係あるのか? うーんパンターと正面から殴り合いするには
センチュリオンを待たなくてはならないのか 17ポンド砲に比べ77mm砲は弾道が低伸して命中率が上がったと言うが、APDSもそうなったのだろうか >>75
すまん、77mmでどうなったかは知らない
17ポンド砲APDSでの遠距離での射撃精度の低さは、
装弾筒の分離タイミングにバラツキがあったせいのようだから そういやイスラエルが使い始めた当初のセンチュリオンに搭載されていた20ポンド砲も、1500mを超えると命中率が急落したという話
ヨーロッパでの戦車戦はそれ以下の距離で撃ち合うのが大半で、遠距離の命中率は要求されなかったのが、視界の開けた砂漠で問題となった
まあそれは、敵となったソ連製戦車も同じことだったけど ソ連製戦車なんて500m程度じゃないと命中しない気がする
実際はどうか知らんけど パンター対T34では1000m越えでも側面に有効弾を撃ち込んで来たって書いてあった気がする。対決シリーズだったかなあ うろ覚え 状況次第中の人次第だからなんとも
ただT-34は照準器に小さくない弱点抱えてたのは確かのはず 実際、ソ連戦車がカタログデーターどうりの性能だったら
あんなに苦戦しなかった
よって
単体の性能は
ドイツ>>アメリカ>イギリス>ソ連
だったはず アメリカもAGFがもっとイケイケだったらナァ・・・ 戦争が半年も長引ければパーシングやセンチュリオンの大群
1年も経てばT-54の最初期型すら投入される可能性もあったのに
ドイツがトップクラスって…幾ら何でも過大評価過ぎてませんかね
88パンサーを実用化してもスーパーパーシングやT-54相手は厳しい >>83
兵士のレベル、士気にも差がある
1、ドイツ、やる気まんまん
2、ソ連、無教養な兵士が多い上にスターリンを憎んでいる
3、英国、漂う厭戦ムード
4、米国、元々ドイツには恨み無いし 長引けばT-54まで開発してる余裕は無いので、伸びた半年に投入されるのはT-44のだろう WW2の時の米軍戦車部隊だと標準交戦距離は800ヤードだから
そもそも1000m以上の砲戦は少ないんじゃね? 枢軸国は資源が乏しく補充が効かないから
なるべくアウトレンジで相手を叩く、負けそうなら逃げる戦術しか無いんだよ つまり零距離射撃でシャーマンと戦うチハを擁する大日本帝国は資源豊富ということだな >>88
アウトレンジで相手をたたくようになったのは
戦術が破綻して防御側に回るようになったからだろ
日本の場合は物質が極端になさ過ぎたからあのような戦術になった。 その上日本の場合は鉄鋼資源は海軍優先だったしな、大和・武蔵など作らず
陸軍に回してくれりゃ単純計算でもチハがあと8000両以上生産できたのにな まあ戦車はコストパフォーマンス的に疑問符が付く兵器だしな
特に太平洋諸島では それは島に上陸させるための輸送船や上陸用舟艇を大量に持つ米軍には当てはまらない 沖縄戦に投入された戦車の数の少なさ考えればそうとも言い切れない 沖縄で日本軍に撃破された米軍戦車だけで272輛、対して一つの島に日本軍が投入した戦車の数は最大どのくらい? 沖縄で失われた日本戦車は27輌、というかこっちは全滅したわけだからイコール投入数か
日本戦車は数が少なすぎて役に立ってないというだけだな >>68
JS-1を量産もいいが
JS-2に100mm砲の方を選択すれば
WW2最強戦戦車の称号を得ただろうな しかし既に生産されている砲弾を使えないのと、対戦車戦闘より陣地突破が主任務なので、試作はされたが量産されず
そして戦後のIS-3からIS-6までずっと122mm砲 >>97
JS-2の主敵は戦車ではなく陣地。
榴弾火力のある122mmを選んだソ連は正しい。
122mm榴弾でもだいたいのドイツ戦車は耐えられないし。 Su122って榴弾砲だろ
対戦車戦闘に向かないから早々に消えたって田宮プラモの解説に書いてあった 122mm榴弾や152mm榴弾は対戦車戦闘にも使用されたけど
有効弾になった多くは曲射して上面装甲に飛来したか側面装甲へ平射した場合で
大口径砲といえども厚い前面装甲を叩き割るのは多数の命中弾が必要だったみたい
大戦後半にイギリスで試験してたHESHなら一発で吹き飛ばせたんだろうけどね スティーブン・ザロガによるオスプレイシリーズのIS-2本によると、戦車戦であっても、徹甲弾より榴弾の方が多く使われていたとか それはIS-2の携行弾数が少ないせいだからでしょ
全弾榴弾で出撃したケースも少なかったようだし IS-2が生産されたのは44年1月から
SU-100が生産されたのは44年9月から
IS-100が生産されたと過程しても同じ時期になるだろう
するとデビューはM26と同じ頃になり、大戦では活躍するチャンスは殆ど無かっただろう
しかし朝鮮半島では、M26/46をちんちんにしたかも知れん まあパーシングじゃ敵わないね
センチュリオンとどっこいだろう
韓国が滅んでたかもなwww 朝鮮戦争ではアメリカ軍が絶対的航空優勢を確保してたんで
共産軍の戦車の性能が多少良くても大勢に影響ねーよ 釜山円陣突破されて釜山陥落したら
米陸軍も岩国まで撤退せざるを得ず
仁川上陸作戦もキャンセルになったかも
米軍が一番恐れていたのは自軍の被害が拡大することで
自国が攻撃されたわけではないので、消耗戦は避けたと思われる M26/46の90mm戦車砲M3は、M82APC弾後期型で距離500で164mm、距離1000で151mmの貫通力
T30E16HVAP弾で距離500で278mm、距離1000で246mmの貫通力、つまりIS-2を正面から撃破可能
ちなみにIS-3だと、中東戦争でM48の90mm砲弾を正面装甲で弾いている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています