「結局、大戦を通じてのF6Fヘルキャットの日本機の撃墜報告戦果は、5,156機にも達し、一機種による日本機撃墜の最高記録だそうです一方で大戦中に失われたF6Fの機数は270機ですから、キルレートは19:1でしょうか」
「さらに、戦争全体での日本機と米軍機との航空機の撃墜、被撃墜数を見比べて見ますと
1941年暮れの開戦から1942年までの緒戦の時期に、米海軍機が266機撃墜されたのに対し、日本機は858機撃墜され、その比率は1:3.2でしたが、」
「1943年になると米海軍機233機に対して日本機1239機、比率は1:5.4、」
「1944年には、米海軍機261機に対して日本機4024機、比率は1:15.5、」
「1945年から終戦までになると、ついには米海軍機146機に対して日本機3161機、比率は1:21.6・・・・」




米海軍機と日本機との撃墜比率

米海軍機被撃墜数 日本機被撃墜数 比率
1942年まで266  858 1対 3.2
1943年 233 1239 1対 5.3
1944年 261 4024 1対15.5 終戦まで 146 3161 1対21.6
計 906 9282 1対10.2
米公刊史より

「最終的な米海軍機と日本機との大戦を通じてのスコアは、906機:9282機だということです。
この数字には地上撃墜は含まれていないことにも留意してください」
「ゼロ戦はアメリカを奇襲した直後はパイロットの実戦経験の豊富さと物量の多さで連合軍の旧式機を圧倒しました
それでも新米の乗る同世代のF4Fとはせいぜい互角の勝負。護衛すべき味方機は大量に撃墜され
米軍のパイロットが戦い方を覚えはじめたころには逆に自らも圧倒されるようになり、F6Fの登場をもって、ついには空飛ぶ七面鳥に成り下がりました」