ポートダーウィンの真実

スピットファイヤパイロットの大多数はイギリスに徴兵されたオーストラリア人で、北アフリカで対戦闘機戦ではなく対地攻撃に従事

スピット5の初飛行は1941年初め
1943年にはもう時代遅れで、零戦22型と同世代のスピットはさらに高性能な9型

チャーチルは同国に旧型機の、それもよりにもよって北アフリカなどで使われる砂漠仕様の機体しか供与しなかった

さらにエンジンの下に突き出した防塵フィルターによる空気抵抗の大幅な増加に伴って、つけてない普通の機体に比べて最高速度が32km/hも減少 さらに燃費も悪化し、正に砂漠以外の環境でそのまま使ったりしたら、最悪この上ない

またオーストラリア空軍に供与されたスピットファイアは、イギリス本国から輸送されてくる長期にわたる船旅の途中で、エンジンが腐食し始めてしまったために、実際にはこれよりもっと性能が下回るような状況

さらにダーウィンでのオーストラリア空軍は、運用の面でも数多くの失敗や不運に見舞われた
それは、この戦場が、スピットファイアにとって初の高温多湿な熱帯での運用だったことに起因する
ヨーロッパ機などは地上から離陸した後、多くの場合が高高度にまで一気に急上昇して敵機よりも優位な位置を占有しようとする
ところが、それを高温多湿な熱帯でやらかすと、極低温の高高度に到達した途端機体が凍りついてしまう
具体的には、機銃が凍って射撃不能
プロペラ定速装置が故障し、冷却用のグリコール液が凍結してエンジンから火を吹く
墜落しなかったスピットも、煙を吐きながらゼロ戦や攻撃機を迎撃したが ゼロ戦の搭乗員は飛行時間1000時間を越すベテランばかりだったのに対し、対戦闘機戦の経験の浅いオーストラリアのパイロットでは、最早どうすることもできなかったのも仕方のないことだった
交換用の部品などが、この地には全く無かったのも災いし機械的信頼性は時とともにどんどん失われていき、
結果、この一連の航空戦で全損したスピットの実に7割がエンジントラブルによる不時着で、他にも燃料切れによる墜落も含めるとゼロ戦に撃墜された機体は数えるほどしかないというのが事実
38機がゼロ戦に撃墜されたなんてデマ