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1)各国とも、時代によって違う原則を挙げている
2)各国ともに、法ではなく方針(ガイドライン)として使用している
3)各国とも、方式や公式といった絶対の判断基準にしてはいけないと念を押している

これらから、原則の本質は貴官の考えるような【絶対の存在】などではない
という根本的な性格が判るのですが?

貴官は、各国が【やっちゃだめ】と書いていることを「戦いの原則」に求めているのです。
貴官は単純に根本的なところで誤解しています。

戦いの原則は、その国のドクトリンを説明表現するものの一つであり
その軍隊の重視する考え方や方針を統一する為にあります。
(なぜ統一する必要があるのか?くらいはわかりますよね)

例えば、集中の原則があるならば、その国の基本的なドクトリン、装備、編制、運用は「集中」を念頭において整備されていることをしめします。
例えば、ソ連は他国の戦いの原則には存在しない「テンポ」というものを組み込んでいます。
これはソ連軍のドクトリン、装備、編制、運用がそれに適したものを目指していることを示します。

ただ、それは組織を作る際には必要ですが、個々の実働においては形式にとらわれる必要はない訳です。
むしろ形式化して戦う事が不利にさえなりかねません。
(しかし、それに最適化されているので、やりにくい面もでるので、そこは覚悟の上で対策をしておけばOK)

なので片岡氏のいうところの
>そもそも[規則書によって戦争は戦えない」ものであり、「原則は賢者の助けにはなるが、愚者には落とし穴になること」に留意しなければならないのである。
となる訳です。