>>809
白丁が唯一略奪受けずに蓄財できる被支配階級だったらしいからな
官吏による徴収が酷かったため、貯蓄を行うことは危険な行為と見做されており、食べて一生を送るのが安全だとの認識が広まっていたんだと
以下WIKIより抜粋
朝鮮半島では、李氏朝鮮王朝の時代になるとそれまで進展していた経済の発展にきわめて強い規制がかかった。朝鮮王朝のイデオロギーでは、商人に対する風当たりが強かったためである。
そのため本格的な貨幣制度がなかなか定着せず、物々交換か麻布・綿布・米などの現物貨幣で取引された。
李氏朝鮮王朝も何度か貨幣制度の導入を行ったものの、イデオロギーを無傷で温存したため根本的な解決はできなかった。
第4代世宗の時代に入り、金属貨幣である「朝鮮通宝」が発行され、本格的な貨幣経済への重要な一歩を示したが、流通量は少なく、
秀吉や清の侵攻でそれまでも構築できていたとは言い難い国内の産業基盤が崩壊し、
意図したほどの効果は上がらなかった。17世紀後半に至って「朝鮮通宝」の代わりに「常平通宝」を鋳造し、再び貨幣経済を振興させようとするが、金銀などを使用した高額貨幣の流通はあまりにも微少だった。
また造幣を行う役人によって銅が横流しされ、その分を鉛で補っていたために市中でも貨幣に対する信頼度は低かった[42]。
このような制約の中でも李氏朝鮮王朝後期の18世紀、19世紀には商人階級の勃興と富の蓄積、また両班の地位を金で購入することなどが広まり、朝鮮の商業は大きな進歩を見せた。
しかしその後も支配者層の儒教イデオロギーに基づく介入が相次ぎ、
また両班が一般民衆に対して常に過酷な財産徴収を行っており資本蓄積や資本による投資が不可能な状態であったことや19世紀初期の飢饉や
反動政治などもあって、朝鮮における商業の発展は非常に障害が多かった。