当時の日本国内では、黒船来航以来の国辱外交に憤懣が溜まっており
それもあって、明治6年の政変で、征韓論が中止になったことから、
佐賀の乱から西南戦争、自由民権運動に至る政治の流れがあるのですが。

 だから、征韓論が断行されるという事は、日本国民の不満を鎮め、国内の輿論をまとめることができる、
と西郷らは判断していたし、少なくともその判断は間違っていないと思う。

 なお、板垣や伊地知の判断の是非に関しては、何とも私はコメントしづらい。
 私は軍人では無いのに対し、向こうは軍人だから。
 ただ、西郷らは勝てる、と判断していたのは確かだと思う。
 なお、別府晋介らが、明治5年に2月余り、朝鮮内部を実地に視察した上で、上記の判断は為されており、
 現地状況を調べた上での判断でもある。