>>688
>それを浮上させるために爆雷(威嚇用)をドカドカおとして圧迫、核魚雷装填まで行きかけたけど艦長は我慢して浮上
>ひとつ間違えてたら核戦争に・・・

その潜水艦で各魚雷発射を阻止したのは艦長よりもむしろ副長であり、彼は前年に原子炉事故を起こして沈没寸前になった
K-19の副長でもありました。  以下Wikiより引用

(前略)公海であるにも関わらず、米艦隊は演習用爆雷を投下、爆発による信号を送ってB-59の強制浮上を試みた。
B-59は数日の間、モスクワと通信が出来なかったため、アメリカの民間ラジオ電波を傍受して情報収集していた。
しかし、爆雷から逃れるため、深度を下げて航行したため、ラジオ電波の受信が困難になった。
情報が遮断されたため、米ソが開戦したのか否かを知ることが、B-59乗員には不可能となった[3][4]。
B-59艦長バレンティン・サビツスキーは、すでに両国が開戦したと判断し、核魚雷の発射を企図した[5]。

他の潜水艦と異なり、B-59の核魚雷の発射には、乗艦していた三人の士官(艦長サビツスキー、政治将校イワン・マスレニコフ、
副艦長アルヒーポフ)の全会一致の承認が必要であった。
通常、特殊兵器を搭載したソ連潜水艦において、その艦長は政治将校の許可さえあれば、核魚雷の発射が可能であった。
しかし、アルヒーポフはB-59では副艦長に過ぎなかったが、彼はB-4、B-36、B-130等の潜水艦小艦隊の司令でもあり、階級は
艦長と同じであった。 そのため、艦長は彼の承認も得なければならなかった。

三人の間で口論が始まり、アルヒーポフだけが発射を拒否した[6]。 作家エドワード・ウィルソンによれば、前年のK-19の事故の際の、
アルヒーポフの勇敢な行動と名声が、彼の主張に有利に働いたとしている[5]。
結局、アルヒーポフは艦長を説得し、浮上してモスクワからの指令を待った[7]。
B-59のバッテリ残量はごく僅かで、空調も故障していたため、米艦隊の中央に浮上せざるを得なかった。その後、帰投した

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%95