神を信じることができるのが人間だけならば、神の存在を疑うことができるのもまた人間だけ
神の存在が人の身では立証不可能であるならば、絶対的な存在、つまり信じようと信じまいと確かに存在するのだ。とは簡単には言えなくなる

むしろ神について深く深く考えたがゆえに発生した「不信」であり、信仰の裏返しであると評価できるのでは