まあようは今頃になって古い騎馬民族征服王朝の話に古い去勢文化どうたらで批判は
むしろ珍説を補強するだけって事

遺物から古墳時代には馬が日本各地で存在したが、その規模や運用の実態がはっきりしない
馬の文献記録では日本書紀の284年に百済からオスメスの馬を贈られたのが最古
400年代に飛ぶと急に天皇や勅使が馬を使う記述が出てきて、新羅・百済人が
馬の管理に当てられたとあり、行政管理の馬の飼育が組織化され普及した様子が取れる

壬申の乱で甲斐の勇者が騎乗する敵指揮官を地形を利用して騎射の集中攻撃で
討ち取っていて、この頃には騎兵の高度な組織運用が出来る集団がいたのは間違いない