>>789
>「安価で精強な韓国兵に米式兵器を配備したら無敵だ」って李承晩の寝言を真に受けて装備一式渡したら敵と遭遇するたびに
>全部投棄して逃げ出すもんで敵軍の増強にしかならなかったとリッジウェイ将軍が回想録に書いてたぞ。

開戦以来そんな事を繰り返して韓国軍は米軍から見限られそうになっていたんで、釜山橋頭保の戦いでは白将軍はこんな演説の後に
師団長自らバンザイ突撃を敢行して戦線を死守しました。 以下Wikiより引用。
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特に多富洞の戦いでは、北朝鮮軍3個師団に対して不退転の陣地を築き、アメリカ第27連隊と共同してこれにあたった。
韓国軍は連日の損害を避難民や学生から補充したために、半分が[28]十分な訓練も受けていないアマチュアの兵隊達であった[29]。
韓国軍部隊の後退で危機が訪れた際には、自身マラリアの高熱に苦しみながらも退却してくる兵士達に訓示を与え、自ら先頭を切って
突撃を行い戦況を挽回した[30]。 これが朝鮮戦争中に師団長が突撃をした唯一の場面であった[31]。

「連日連夜の激闘は誠にご苦労で感謝の言葉もない。 よく今まで頑張ってくれた。 
 だがここで我々が負ければ、我々は祖国を失うことになるのだ。 我々が多富洞を失えば大邱が持てず、大邱を失えば釜山の失陥は
目に見えている。 そうなればもう我が民族の行くべき所はない。 だから今、祖国の存亡が多富洞の成否に掛かっているのだ。」
「我々にはもう退がる所はないのだ。 だから死んでもここを守らなければならないのだ。 
 しかも、はるばる地球の裏側から我々を助けに来てくれた米軍が、我々を信じて谷底で戦っているではないか。」
「信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか。 いまから私が先頭に立って突撃し陣地を奪回する。
 貴官らは私の後ろに続け。 もし私が退がるようなことがあれば、誰でも私を撃て。 さあ行こう! 最終弾とともに突入するのだ」
・白善Y、1950年8月21日'[30]

第1師団の戦意を疑っていたアメリカ第27連隊マイケレス連隊長はこの姿に感激し、以後のアメリカ軍と韓国軍の信頼度が増したという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%96%84%E3%83%A8%E3%83%97