1938年の「高高度記録機」の趨勢は以下の通り。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsass1934/6/51/6_51_812/_pdf/-char/ja

例えば「利用荷重」が5000kgの「陸上機」、Ju90がDB600を4発積んで、高度9312mまで上昇してる。
38年6月の「世界記録」である。
4〜5年後に、「記録機」が「量産実用機」に進化するかも、と予測することは十分に可能だ。
技術的に可能、と実験機が証明した以上、量産できるか否かに焦点絞られるワケであり。

水冷V12のDB600の替わりに、空冷18気筒に載せ替え、B-29が高高度爆撃機として量産されるのは、
世界記録から5-6年後の事象。
零戦21が、利用荷重1000kg程度で、ブレダ88(ピアッジョ双発)を量産機で乗り越えたのは、やはり4-5年後。
14試局戦なら、高高度9000mでの爆撃機の迎撃との志を、昭和14-15年に持つこと自体、
全く不思議ではない。

それで困るのが、金星ゼロ戦STOL局戦厨房の感情だけ、なんだろね(爆笑)
クソ以外の何者でもない。