戦前から戦中、戦後にかけて
食料用として食味は落ちるものの、多収が見込めたために大量に作付けされたのが沖縄100号や丸い護国芋。
工業原料用だったものが食糧難により食用とされて極めて評判が悪かったのが通称イバハチと呼ばれた茨城1号だったそうだ。

https://www.jrt.gr.jp/sp_director_diary/30-%E8%8C%A8%E5%9F%8E%EF%BC%91%E5%8F%B76%E6%9C%886%E6%97%A5/
日本いも類研究会
サツマイモとジャガイモから燃料用の無水アルコールを作り、ガソリンに混入することになった。

1937年、そのための「アルコール専売法」が制定され、年産2万石(3700キロリットル)規模の国営アルコール工場の建設が全国の主要いも類産地で始まった。
関東では千葉市と茨城県の石岡に建設され、1938年から操業を開始した。
両工場とも原料はサツマイモで、品種の中心は「沖縄100号」と「茨城1 号」だった。
前者は1934年、沖縄県農事試験場で、後者は1937年、茨城県農事試験場で育成された。
共に作りやすく、量も在来種とは比較にならないほどたくさん取れたので、アルコール専用種としては頼母しいものだった。
ただ食べてみるとまずかった。あま味もうま味もない、べチャべチャの「水いも」だった。
特に「イバイチ」と呼ばれていた茨城1号はひどく、のどを通るようなものではなかった。
太平洋戦争末期から敗戦後の2〜3年にかけて米不足が深刻になった。政府は代りに大量のサツマイモを配給したが、その多くはアルコール用に開発されたものだった。
まずいものばかりを食わされ、国民はいも嫌いになってしまったが、それがなかったらどうなったのだろう。餓死者が続出したに違いない。