1940年1月 連合艦隊旗艦を八雲へ変更
1940年5月 横須賀6 扶桑・山城の空母改装工事開始(信濃建造せず)→1942年8月完成
1940年9月方針決定:1942年3月開戦とし、1944年10月戦争終結とする
 大和型戦艦は今から作っても完成しないので、もう作らない
 航空母艦を大量整備する
  伊勢型2隻も大和の建造で作業員があまり次第、すぐさま改装を始める
  貨客船が少ないため、現段階でほぼ完成または完成している貨客船は空母には改装しない
   つまり工事中の春日丸・橿原丸・出雲丸は空母にする
  軽空母改造前提特務艦も軽空母へ改装する
   剣埼型2隻、千歳型2隻、日進(建造中)
   ボロボロの大鯨・瑞穂はそのまま
  川崎型油槽船は船団護衛・飛行機運搬任務のため、低速軽空母設備を設置
   海戦までは法律で可能な優秀船舶建造助成施設のみ施行→川崎型油槽船7隻と同規模油槽船3隻
  6000t以上の油槽船については、1940年8月起工分以降は建造中止解体
  粗製乱造ただし急造可能な甲航空油槽船を川崎神戸・三菱長崎・播磨にて量産開始
  大鳳は起工せず、飛龍改型を三菱長崎で量産する
  (川崎神戸は鈴谷改型軽巡を量産)
  加賀と赤城の高角砲を交換し、加賀と鳳翔は内地にて搭乗員離着練習艦として用いる
  三菱大曽根工場真横に海軍大曽根飛行場を急造(1941年2月完成)

※1942年3月時想定保有空母一覧
 翔鶴級2隻
 蒼龍・飛龍
 赤城・加賀
 剣埼型2隻
 千歳型2隻
 龍驤、日進
 (半年以内に、橿原丸2隻、飛龍改型1隻)

 鳳翔、春日丸:練習用
 高速航空油槽船10隻:補助任務
 甲航空油槽船20隻:輸送任務