>>370
酒匂景信(1850〜1891)。彼は大王碑の実質的な発見者だ。酒匂は諜報将校だ。日本陸軍の参謀本部諜報員。
1880年に彼は中国(清)に派遣される。北京で1年間中国語の勉強をした。彼の任務は中国北部と満州の測量と地図を描くこと。彼の活躍は疑いと挑発だ。
彼は碑文の改ざん説のど真ん中にいる。だが、それは衝撃と刺激だ。彼は東アジアの歴史を激発させた。広開土王の偉大さが再照明された。

事情はこうだ。満州は清の禁地(出入り禁止の地)であった。1870年代後半そこは開墾地として開けた。農民が大王碑を発見した。
1880年代から役人たちは碑石の拓本を作った。1883年酒匂はそこを歩き回った。巨大碑石の発見のニュースは隠密に取り引きされた。酒匂は現場を探れた。
彼は碑石の価値を知るようになった。拓本を入手して違法搬出する。1884年それを参謀本部に提出する。日本軍所属の学者たちは碑文を判読した。
1888年に分析結果を発表した。その時になって朝鮮は碑石の存在を知った。発表内容は論議と疑惑を生んだ。碑文を任那日本府説と結びつけたという疑いだ。
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=219554