江戸時代に薩摩という悪の組織が、藩内で8公2民を実行し、
奄美諸島では欧州植民地もビックリの
砂糖プランテーションで財を成していたという。

そんな狂人(半分は西南戦争で戦死)が
明治政府に入り、日本全国に広めたのが、
生糸のモノカルチャー農業。

農地や山林に桑の木を植えまくれば江戸時代の
産業レベルでも養蚕が出来ますという呼び込みで、
日本全国が一気に飛びつき、すぐに輸出産業に
なって変態紳士の国から戦艦も買えました。
有り難い事です。

しかし素晴らしい輸出産業も、世界不況になれば
絹織物は大暴落して農家は心中や身売りに走るという
とても鬼畜な結末であった。
桑は農地を専有する上に、養蚕は労働集約型の産業で
従事者の生活費も大きいのである。

結局日本は、敗戦後に食料増産の為に大規模な
農業用水の確保に走ったが、これを大正期に
始めていれば東北の窮乏も緩和されたと思いたい。