>>580
>そいや、1989年の東欧革命で覇権国家としてのソビエト連邦は崩壊したいけど
>この破局を回避する方法って、あったのかね?

 モデムと電話線の話題ついでに言えば、マルチンとその89年仲間たちは、いまだに「あの日本人」について語り合う。
1989年、チェコの学生は全国的な蜂起を組織しようとしており、マルチンを含む技術系の学生はテレコム方面を担当
していた。かれらが使っていたのは、トースター並のサイズと形と発熱量を持つ300ボーの装置だった。チェコの秘密
警察は、デジタル通信についていくには頭が悪くて原始的すぎたので、過激派学生のモデム・ネットワークは盗聴の
危険はあまりなかった。草の根BBSは、国境警備員の目を盗んで活動家がモデムを持ち込むたびに、そこらじゅうの
大学キャンパスでぼこぼこ生まれていた。もちろんモデムは非合法だった。が、チェコの警官のほとんどは、モデムと
いうのが何なのかまるで知らなかった。

 警察は、ソ連の重装甲のバックなしに、全国民を棍棒でぶちのめして服従させるという絶望的な仕事に従事していた。
マルチンの自主学生運動は、デモをやってぶちのめされてから知恵をつけた。そして89年が68年をひっくり返したもので
あることにも気がついた。かれらは7つの要求を掲げた。非常にラディカルな要求で、そのうち3つは決して満たされな
かった。みんな、いずれ状況が爆発するのはわかっていた。しかし、それを外に伝えるのは非常に難しかった。