>>752
>現に中途半端に国力上げて図に乗った結果、四方八方に喧嘩売って死にかけてる件。

19世紀中盤の南米パラグアイもそんなパターンでしたな。
明治維新期の日本よりも先んじて産業化を進め、当時の南米ではかなり有力な軍隊を保有したものの、
それで調子に乗った大統領の外交姿勢が全部裏目に。

しかもあそこは単に戦争に負けて領土毟り取られただけではなく、徹底抗戦派の大統領が周辺の大国
全部を敵に回して大統領自身を含む最後の一兵まで徹底抗戦を続けたから、成年男子の大半が戦死
してしまい(55万人の人口の内30万人が死亡)、最後は小学生まで徴兵して前線送りにしました。

その為戦後のパラグアイは男が死に過ぎたために家では女が主導権を握る女系家庭が今でも多いし、
パラグアイの子供の日とは戦争末期に少年兵を主力とした部隊が玉砕した後、我が子の遺体を戦場で
探し回る母親の悲劇を祈念して付けられた日なのです。