ちなみに大正天皇が1926年に崩御し次の年号が何になるかが全国民の関心事だったのですが、東京日日新聞
(現在の毎日新聞)が他社に先駆けて「新たな年号は「光文」である」と大スクープ。

しかし実際には新たな年号は「昭和」となり、東京日日新聞のスクープは一転性器もとい世紀のの大誤報となり、
東京日日のメンツは丸潰しにされ、大失態の責任を問われ会社幹部も引責辞任する羽目に。

一説には本来「光文」で決まっていたものの、宮内庁関係者による東京日日新聞への勝手なリークに激怒した
宮内庁と政府が急遽「昭和」に差し替えたとも言われているから、その意味では毎日はのスクープは誤報では
無かったものの、先駆けが過ぎて政府から手厳しく仕置きされた形になります。


光文事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%96%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6