>>750
ルーマニアの場合、東欧ドミノの後、国民統合の象徴として、また西側に接近するために
ミハイ1世が持つ王室コネクションを利用しようして、事実上の国王として認めた。
諸外国も、それにともない、正式な王ではないとはいえ、外交上の扱いを準公賓としている。

ブルガリアの場合は、王党派と共和派とで国家が分断されることを恐れ、あくまでも「元」
王族が一市民として選挙を通じて首相になったって扱い。
シメオン2世も、自分が原因で国家が分断されることを望んでいないので、内心はともかく、
表立っては王国再興までは主張していない。