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◎苦闘 企業の前線U(1)空路復活(前田道路仙台南営業所)

 津波で大きな被害を受けた仙台空港は2011年9月25日、国際定期便の運航が再開し、空港機能が全面回復する。
がれきで埋まった空港は震災約1カ月後の4月13日には、国内臨時便の受け入れを再開していた。
短期間での復旧は、米軍が自衛隊とともに実施した「トモダチ作戦」の象徴的な成果とされたが、この活動の中核を担ったのは、道路舗装大手の前田道路(東京)だった。

 「がれきを撤去してほしい」
 滑走路などの維持管理を担う前田道路仙台南営業所(宮城県岩沼市)に、国土交通省から連絡が入ったのは3月12日夜だった。
 営業所の幹部は翌日、国交省側と打ち合わせを行い、エプロン側から撤去を始める方針を確認した。話し合ったのは空港内のビル2階。1階には津波で流された車が突っ込んでいた。
 作業は14日に着手。工事課係長の中鉢哲也さん(43)はまず、敷地内の状況を調べた。
深さ5、6センチの土砂に覆われ、津波で流された住宅や車が至る所に散乱していた。
遠目には遺体も見えた。
 当日、現場に集まることができたのは10人弱。使える作業車は2台だけ。
「復旧にどれだけ時間がかかるのか」。
4000件を超える現場経験を持つ中鉢さんにも、全く見通しがつかなかった。

 この日夕、国交省から手順変更の指示が下る。
「被災地支援の米軍機が着陸する。1500メートル分を使えるようにしてほしい」。
到着予定は2日後の16日。
猶予は15日の1日しかなかった。
 指定されたのは3000メートル滑走路の一部。
幸い、がれきは少ない。
営業所の社員らは道路清掃車を使い、除雪を行う要領で土砂を取り除いた。
 最も注意を払ったのは異物の確認だ。
滑走路にくぎ1本でも残っていれば、エンジンに入り込み、重大なトラブルにつながりかねない。
 日は暮れ、停電が続く現場は真っ暗闇になった。
「ヘッドライトをともした車両を1列に並べ、社員が慎重に確かめた」。
営業所の北原正俊所長(46)が説明する。

という状況だったのさ