前スレ
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1556719653/332

プラザ合意を待たずに刈り尽くしているのでほぼ関係ないのだ
https://crossacross.org/ky/Past+present+and+future+of+forestry

>ここまでのデータで把握したとおり、1966年には伐れる木はあらかた伐りきってしまい、樹齢15年以下の若木が人工林のほとんどを占めるまでに至った。
>それでも建材需要は旺盛であり、1960年代に外材輸入解禁に踏み切る。
>外材輸入解禁について「安い外材のために国産材が駆逐された」というストーリーが語られることが多いが、そうではない。
>輸入解禁当時、1ドル360円の時代は外材は国産材より高く、円高の進行で国産材より安くなっていったのである8。
>ここまで述べたとおり、1950年代には日本の林業は森林の蓄積を上回る再生不可能なペースで伐採を行ったが、輸入解禁後の木材消費量は、その生産量の倍であった。
つまり、需要に対して日本の自然生産力は到底足りていなかったのである。
1970年以降の視点で見れば最初から輸入解禁すべきであったのだが、終戦後15年間はそのような経済的余裕はなく、外貨は貴重で出し惜しみすべきものだというのが一般的認識であり、輸入解禁はなかなか進まなかった。

>また、輸入解禁後に国産材の生産量が低迷しているが、もともと輸入材の価格は国産材よりも高かったのであり、少なくともプラザ合意までは「安い輸入材に押されて生産量が減った」とは言えない。
>1966〜1980年の日本の人工林の樹齢分布から分かる通り、住宅用に適する樹齢50年以上の木が山に無かったためであると考えられる。
>昭和50年代から間伐や枝打ちの不足が問題化するが、これは売るものがないので管理コストが捻出できない状態にあったためであると推定される。